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道草を食いながら生きる

大学に入ってから夏目漱石の講演録である「私の個人主義」を読んだ。高校の時にお世話になった人にもらったものだ。

まだ旅立ったばかりで新鮮な私の心には、その本の多くの言葉が刺激的であった。
付箋をつけた箇所を読むと今でも胸に響く。

裏表紙の裏に、この本をくれた人からのメッセージが書いてあった。

「本当の意味で漱石が人生を始めたのは、30過ぎて“自己本位”という言葉を手にしてから。まだまだこれから, これから、ここから」と。


初めてまともに漱石の作品を手に取り、自伝的小説「道草」を読み終えた今、そのメッセージが腑に落ちた。
世の中に片がつく事なんてない。


漱石の本といえば「坊っちゃん」と授業で扱った「こころ」くらいしか読んだことがなく、また当時は大して本を読んでいなかったので読みにくい印象があった。

今回読むにあたって、きちんと読めるだろうかと緊張するまであったが、かなり読みやすかった。

主人公健三の人物像や背景が段々とわかって来る、じわりとした展開に意外とハラハラした。


何より面白かったのは、健三と妻のすれ違いまくりの会話。健三の高慢な態度に屈せず、消極的で強い態度の妻。

お互いが不満をはっきり言わないにしても静かにぶつけ合っているのは、時代変わらずとも現実的な風景である。

というのも、妻は昔の形式的な倫理観に囚われていない。夫という肩書きよりも尊敬されるだけの実質を持つ男性の存在を求める人で、亭主関白な健三と真逆であった。

百年以上前の作品でありながら、妻の考え方に共感でき、女性が抱える孤独な強さも感じられた。


養父や兄弟、妻の父など、多くの人に金をせびられ、悩まされていた健三。
家族も厳しい生活を送っていたため、金銭問題が解決すると妻は片付いて安心したと呟く。

それに対し、健三は苦々しく言う
世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない」と。


今が人生で一番苦しい、頑張っていると思っていても、一つ済んだらまた一つ、と悩みは絶えない。

まっすぐな一本道はなく、どうしてもどこかで引っかかる。
道草を食いながら生きていくしかないのだろう。

道草を食いまくっている私
全く前に進んでないかも。

まだまだこれから、ここからだな。

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