最近の記事

きょうの街へ飛び出る

遅寝遅起きの日々が続いて何もうまく行ってる気がしない。 正月太りから体は重いし起きられないし 毎日の研究室が苦痛でしかない。 思い切って研究室を1週間しばらく休んで、就活や読書をぼちぼち進めようと思っていた。 2月9日、いつものように9時にだらだら起きて もりもり白ごはんを食べる。 天気がいいから洗濯物も干す。 どうせ1日暇なんだからちょっと遠い業務スーパーに行こうと思って外に出た。 しかし2月とは思えないほどの天気の良さ、 私はファミマで辛辛魚だけ買ってすぐに帰宅し

    • ひととつくる建築

      以前から建築に関して興味がないわけではなかったけど、圧倒される建築を目の前にしても漠然とすごいとしか思わなかった。 養老孟司と隈研吾の対談集を手に入れた時、これを読み、少しでも建築を見る視点が変わったら楽しいだろうなと思った。 また、対談集のタイトルは『日本人はどう住まうべきか?』 大学進学の際、運命的に京都に来た私は、住めば都ということを経験しながらも、次のステップでどこに行けばいいのか全く見当がつかない状態である。 暮らしについて考えたい。暮らしを作る建築自体を知

      • ことばでこころを表現する

        年末、雪景色の美しい旅。お供はこの本だった。 『岡潔 対談集』 去年、数学者岡潔の情緒に対する考え方を読み、感化される。 自然科学を扱う数学者による、こころの話には説得力があった。 まだまだ色んな話を聞いて、考えを深めたいと思い、対談集を手にとる。 井上靖との対談で 「先生が色々な方とお会いになさるときは、先生のお仕事については誰もお話しできないので、先生は全部相手の方の方へお下りになってお話しされるんですね。」 とあったがまさにそんな感じ。 主に文学の世界の人た

        • ふりかえれば美しい世界

          前回の記事で話したように、私が見てきた世界をふり返ってみようと思う。 本と共に学んだこと、自分が得た感覚を整理していく。 その本を読んだときは、新しく知ることも多かったのでうまく理解できないこともあったが、その積み重ねで段々と考えを深められるようになっている気がする。 得た知識が心の片隅にあって、何かを見たとき、自然にその知識が引き出され、新たな感情を生んでいる、と思うと一つ一つの経験が私を磨き上げてくれているとわかる。 日本文化全くの初心からの進歩なので、こんなことも

          広がる私の世界

          京都に来て、大分色んなものを見て学んできた気がする。 京都の大学に来たばかりの頃は、日本文化のにの字も知らないくらい無知だった。 大変恥ずかしながら「京都って観光地として有名なとこでしょ?」なんてことを言っていた。 それでも趣味のカメラがあったから、色んなお寺に行くことで庭園に興味が湧く。庭から学びを広げていって、今年は文化についてかなり学んだ年になったと思う。 川端康成との出会いもあったし、いけばなを習い始めたことも大きな変化だった。 そして締めくくりに「茶の湯ムーブ

          広がる私の世界

          文学の街、松山 〜1人旅第2弾〜

          11月、秋らしい日々が続く。  木葉は赤や黄に色づいて、季節の移り変わりを感じる。 自然の変化を見る度に自分も変わりたいと思わされた。 食の秋、文化の秋、読書の秋 多くのものを嗜むのに良い季節とされるこの秋に、私は四国へ旅に出た。  松山には高校の友達が2人いたこともあって、前から行きたいと思っていた。松山について調べると、正岡子規に「坂の上の雲」、「坊っちゃん」と、文学の街というだけあり、興味深いラインナップである。  大学の講義予定的に暇な11月に、どこか旅に出たかっ

          文学の街、松山 〜1人旅第2弾〜

          経験を重ねて感じるもの

          ようやく読み終えた「日本文化の核心」。 多くの日本文化を知るきっかけとなり、また文化に対する意識も改まった。 本書は文化を象徴するようなキーワードを元に、様々な角度から見た日本について書かれている。 丁寧で長い説明を読んでいく先に、その文化の真意がわかったようなわかってないような気持ちになった。 結局ワビサビとかどういう意味なの?わかりやすい説明ってないの?と安直に思ってしまいがちなのだが、日本文化のハイコンテキストで一見わかりにくい文脈・表現にこそ真骨頂がある。 書

          経験を重ねて感じるもの

          数学者が語る情緒

          藤原正彦、ジョン・ナッシュ、高校の担任、喫茶で気になる子…数学に向き合っている人に漠然と惹かれ、彼らが日頃どういうものを好み、何を考えているのかが気になる。 というのも、数学という世界に閉じこもって黙々と筋道を立てている人が、その世界から出て何を思うのかが不思議。 いろんなことに対して論理的に考えちゃうのか、はたまた普段の生活では頭を解放させてあまり考えずに過ごすのか。 これまで見てきた数学者は、論理だけでなく、感覚的な考え方も重要視している人が少なくない気がする。芸術

          数学者が語る情緒

          道草を食いながら生きる

          大学に入ってから夏目漱石の講演録である「私の個人主義」を読んだ。高校の時にお世話になった人にもらったものだ。 まだ旅立ったばかりで新鮮な私の心には、その本の多くの言葉が刺激的であった。 付箋をつけた箇所を読むと今でも胸に響く。 裏表紙の裏に、この本をくれた人からのメッセージが書いてあった。 「本当の意味で漱石が人生を始めたのは、30過ぎて“自己本位”という言葉を手にしてから。まだまだこれから, これから、ここから」と。 初めてまともに漱石の作品を手に取り、自伝的小説「

          道草を食いながら生きる

          ふりかえれば深い京都

          プライベートで記事?ブログ?に文字を綴るのは久しぶりかもしれない 振り返ってみると私のSNS遍歴というのは小学校の時のブログから始まっている。 タイトルは「ふりかえれば広い世界」だったかな。あの頃から漠然と文章を書く楽しさを感じていた。 時は経って、今や21という立派な成人になっていながら語彙力や表現力は大して自信はない。 けれども日々の生活や、触れた文化を噛み砕いて、言葉を残す習慣は私の成長、豊かな暮らしに大きく寄与している。 主にインスタグラムにて言葉を綴ってい

          ふりかえれば深い京都