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数学者が語る情緒

藤原正彦、ジョン・ナッシュ、高校の担任、喫茶で気になる子…数学に向き合っている人に漠然と惹かれ、彼らが日頃どういうものを好み、何を考えているのかが気になる。

というのも、数学という世界に閉じこもって黙々と筋道を立てている人が、その世界から出て何を思うのかが不思議。

いろんなことに対して論理的に考えちゃうのか、はたまた普段の生活では頭を解放させてあまり考えずに過ごすのか。

これまで見てきた数学者は、論理だけでなく、感覚的な考え方も重要視している人が少なくない気がする。芸術や文学を嗜む人も多い。

もちろんそういう考えは、数学での道を極めた、経験豊富な方だからこそ説得力があって、自分のような平凡な人間がはじめから感じられるようなものではない。
だからこそ彼らの発言に学び、情緒を大事にしたいと思わされる…。


前置きが長くなってしまったが、数学者の発言に興味があるので、有名な岡潔先生の本を二冊ほど手にした。先に「春宵十話」で岡先生の人物像をなんとなく掴み、「人間の建設」によって評論家、小林秀雄との対談を見て行くことにした。

「春宵十話」、これまで自分が読んできた気軽なエッセイと違って、エッセイらしからぬ読みにくさがある。
というのも、例えや表現に自身が作った世界のようなものがあって、それも理論的であるので、理解するのに少し頭を使った。抽象化が緻密なところに、賢さがにじみ出ているなあと思う。

対談に関しても、複雑な話もお互い理解しあっており、本当に高度で知的な会話。
話題は幅広く、数学から芸術、哲学や酒まで。


その中で、岡先生がしばしば「情緒」という言葉を使って自身の主張をする。
それは人間とは何か、人の心の根底に何があるか、と人の本質をもっと考えるべきだという主張である。

この主張に行き着く筋が私には理解できず、考え込んでいたが、「感情が土台の数学をする」という岡先生の話をもとに少し噛み砕けた気がする。

他の数学者が結果に満足できるという感情的な同意を表示しなければ、提出する論文は数学だといわれない、らしい。
感情の満足・不満足は直感であり、直感なしでは情熱はない。人の心が納得するには情が承知しなければいけない。知とか意とかを主張しても情が同調しなければ、人は本当にそうだとは思えない。

結局人間の根本は感情、心であってそこを出発して様々な考えが出てくる。だからこそその根本についてもっと知っていくべきだというのが岡先生の主張である。
情についてもっと知り、うまく向き合ってゆくことは、人間の営みとして不可欠なことなんだろう。


高度な学問の世界で、そこまで情が関与してくるのが信じられないのだけど、数学者も同じ人間。情なしに生きてる人なんていない。

ましてや自分の生きる世界では、学問の世界以上に情の同調が大切だ。

もちろん論理だけで相手に伝えることは、説得力があり圧倒させることができると思う。でも結局は人との関わりがうまくできなければ、自分の主張の信用は得られないだろう。

情熱を与え、受け取ってもらう、そんな情の同調がいろんな場所で大切になってくるだろうな。


2冊とも密度の高い本で、気になった点をすぐに考えていくには難しかったけれども、これからの生活、人生かけて考えて行きたいなと思う内容だった。これを数学者が読んだらどう思うのか気になるのでぜひ読んで、感想をいただきたい。

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