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タナトスへの考察

つい先日、私と同い年の三浦春馬さんが亡くなって、死への誘惑(タナトス) について考えました。タナトスはギリシア神話のいわゆる死神です。古くから「死」が誘惑してくるという考え方は存在したのですね。

しかし私は、これまでずっとなぜ死が誘惑するのか、理解できませんでした。今回の考察で私なりに理解できたので書き留めます。


「自殺を選ぶ人が、必ずしも絶望の様相を呈しているのではない」

むしろ苦しい状態から、心が少し軽くなった時に死んでしまうから、自殺の予兆を周囲は気付けない という自殺者の遺族のツイートを見つけました。

私は、確かにそうかもしれない、と実感を以て思いました。根拠?は2つあります。

理由のひとつ目は、数か月前に盲腸の手術をして激痛を体感しましたが、その時でさえ、漫画でよく見る「いっそ殺してくれー」とは思いませんでした。その程度の痛みだったのかなと思っていましたが、真実は「本当につらい時には死ぬことなんて考える余裕ない」なのかなと今は思っています

理由の2つ目は、この間非常に心地よい気持ちで朝まどろんでいた時のことです。私は、今死んでもいいかなって少し思いました。私は日々の生活の不安、頑張ったことが報われない、自分の理想の自分になれないことへの悲しみに、定期的に苛まれます。そんな人生の途中、つかの間の心地よさを感じた時、「このままスッと何もなくなるのもいいかもしれない」と思いました。これは、実は誰しも当てはまるのだと思うのです。性格が真面目で、理想の自分になることにシビアだったり、単純に抱えている問題が大きかったりすると、心地よくなった瞬間に「このままでいたい」と思ってしまうのだ!これがタナトスだ!と感じました。

きっと、死は「滅びさせるもの」ではなく、「保たせるもの」なのですね。だとすると、本当にそれは「誘惑」ですね。


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