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松重豊さんの『空洞のなかみ』を読みまして
本を買うのは通販より書店。そんな気高き本の虫ポリシーも多忙さを前にかき消えてしまった。
時間は作るもの、なんて聞き心地だけいい言葉に苛立ちを覚えてしまう。
社会人とはこんなにも余裕がないものなのか。仕事終わりどれだけ素早く駆けても本屋は閉まってる。本屋どころかほとんどの店が閉まってる。
こりゃしばらくは買いに行けないわ、と月間スケジュールを見ながら思った。
仕方なくamazonで予約注文。
忙しくても時間を作って読むんだと意気込んで。
松重豊さん。俳優。高身長。
渋みと茶目っ気、凄みと懐の深さ。
食事をしながら観るとその食事がよりおいしく感じるドラマ『孤独のグルメ』での背広姿は世間様もよく知るところだろう。
芝居はもちろん、ツイッター(最近になって復活)やブログでの"軽妙洒脱"な文章に前々から魅了されていた自分は、短編小説+エッセイ集の書籍出版との情報に飛びついた。
連作短編小説12編『愚者譫言』と過去に連載していたエッセイ25編『演者戯言』からなる一冊。
短編で描かれる視点はひとりの役者のもので、置かれる状況(あるいは現場)が各話ごとに転々としていく。
取調室、裁判所、酒場、などの状況(撮影現場)と「自分が役者であること」のみがはっきりとしていて、何の役を演じていてどんな台詞を言うかはわかっていない状態からはじまる。
相手役や着ている衣装、周囲の様子から「自分は一体何者か」「ここで何をするべきか」を探っていく。
進行中の舞台上にいきなり何も知らず放り入れられたような緊張感があり、ある種のおそろしさも覚えてしまう。
しかし、その筆致は軽やかで安定感があり驚くほどスムーズに読み進められる。
声に出して読んでも自然な語り口、音声で聴いても浮かぶ情景。そこも意識した上で書き上げられたそう。
緊迫と不安、脱力と軽快。すなわち空洞。
何の役を演じていてどんな台詞を言うかわかっていない、空っぽ。そこに役者とは究極的にはどうなっている状態のものか、筆者の心象が表れているようにも感じる。
後半25編のエッセイ『演者戯言』を読むと、その内容は深海から海面に急浮上するように、電球がじんわり灯るように短編小説へとリンクしていく。
「この体験がこの短編の着想点になったんだ」と紐を解き、ラベルを剥がすかのごとくほどける。
緊張と緩和。
小説が凄みと懐の深さならば、エッセイは渋みと茶目っ気。どちらの面も表紙でありながらどちらもB面。そんな風に思えた。
表紙で思い出したが、この本の装幀もすごく松重さんの特徴やイメージを映している。
カバーデザインもさることながら、それをめくっての表紙もいい。
う~ん、いい。この色味、この奥ゆかしさ。
コロナ渦で俳優業が「不要不急」となり、自身の原点を振り返りながら自粛期間中その気持ちと表現の行く先を執筆に向けたという一冊。
「空っぽとな、無、ちゅうのは違うもんなんやで」
人は皆、役割や立場といった何かを演じている。そんな中で、等身大の何の役でもない空っぽになる時間の大切さに気付かされる。
仕事が早く終わった日、amazonから「配送遅延のお知らせ」が届いた。
どうやら最短で3日、最長で7日かかるらしい。この際だから注文はキャンセルして、今から本屋を回って買いに行くことにした。
やっぱり餅は餅屋、本は本屋だ。
目当てのブツを手に取り、レジに向かう途中で携帯が鳴る。
「キャンセルリクエストをしていただいた商品をキャンセルすることができませんでした」
急いで送る準備に取り掛かってるからキャンセルせんといてや、との旨だ。
今買っていっそのこと二冊買うか?などと悩んだ末、レジを前に店内を大きくUターンする形で元の場所に戻した。
おあずけをくらったそれから、予定より早い2日後に素知らぬ顔でポストに届いていた。
松重さんのYoutubeチャンネルにて『空洞のなかみ』の朗読×音楽の動画も更新されています。