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【随想】映画『インサイド・ヘッド2』ケルシー・マン

1が面白かったので、続編出るのは異論がないが
しかし続編というのはいつも不利なのは変わらない。
だって1のような驚きはないから。
もう世界観は知っている状態なので純粋に内容だけで
前作を上回らないといけないから。
上回らなくても単独でいい出来だったらいいのだろうけど
どうしても前作との比較は免れない。
でもピクサーの手にかかると2も3も面白いという
とんでもないことが当たり前のようになっている。
トイ・ストーリーもカーズもファインディング・ニモもインクレディブルも
ちゃんと続編が面白い。
やっぱり初代だよねと言わせない作り手たちの熱い想いを感じる。
さて今回はどうだったのか。
予告編を見ただけでは、結構厳しい見たてだった。
思春期を迎えたライリーの感情に
新たに「心配」と「いいなー」と「恥ずかし」と「だりぃ」の感情が生まれる。
企画も設定も面白いしきっとストーリーも面白いんだろうけど
感情が9つになって複雑になると
かなりごちゃごちゃするんじゃないかという懸念があった。
しかしそれは杞憂だった。
ピクサーは物語の組み立てがうますぎる。
説明的じゃなくきちんとすべての感情がするっと入ってくるようになっている。
ライリーの過ごす現実世界と
感情たちの暮らす仮想世界が連動して、
ものすごいスピードで行ったり来たりするのに
筋を追えないということがない。
非常に直観的に分かりやすいのだ。
1を見た時も、感情をたった5つ(喜び、悲しみ、怒り、むかむか、ビビり)にしてしまう乱暴さが最初は気がかりだったが
途中からまったく気にならなくなって最終的には感動していた。
記憶や夢のメカニズムにも違和感がなかった。
そして本作2に関しても、
感情の種類が、思春期といえば、この感情なのか・・・と
最初は懐疑的だったものの、
前作の「悲しみ」と同様
「心配」が暴走していくことで感情が崩壊していくところは
ものすごく身につまされるし
思春期の身体の変化は確かにこんな感じだったかもしれないと思った。
明らかに自分が自分じゃないような
感情を抑えられなくなるようになり
そうまさにライリーのように自分自身で自分がコントロールできなくなるのだ。
最後にヨロコビは
わざわざ大変な思いをして取りに行った「自分は良い人」の木を引っこ抜く。
感情たちが、ライリーのことを良い人にしようとしたり、心配性な人にしたり、支配してはいけない。
それはライリーが自分のことを否定する原因になる。
感情は、ライリーから生まれたものだ。
見ている方は、いつの間にか感情たちがライリーをコントロールしていると錯覚していた。
そう主従が逆転していた。
けど、本来は逆だ。
ライリーがいて、感情たちが生まれている。
ライリーが自分の感情を、肯定して受け入れた時、そこには豊かな木が生えてきた。
それを感情たちがぎゅっと抱きしめる。
素晴らしい。
まったく説教臭くなく
押しつけがましくもない。
そこに描かれているのは、割と自然な人間の姿のような気がした。

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