【それが好きだと叫びたい】きれぎれ古裂がきれいにメタモルフォーゼ
着物を“見る”のが好きだ。
“着る”ではなく“見る”としているのは、ひとえに、着物を着て出かけるような場所にご縁がないからである!
会社にさえオフィスカジュアルを拡大して、拡大して、さらに拡大解釈して、公園でキリンの遊具に座れるような好き勝手なファッションで出かけている……。大人としてどうなのか……?
ただ、身に纏えないまでも、少しでも美しいものに触れたいと、お守りがわりの香袋は古裂(こぎれ)を使ったものなどを持ち歩いていたりする。
そんな着物のきれっぱしを愛でる人間が、存分に古裂を“見る”ことができる展覧会に、最終日、駆け込んできた。
八幡垣睦子は欧米のキルト技法をベースに、江戸から昭和時代の染織古裂を使って日本の伝統的なモチーフを表現してきた。古裂を新しい作品に変容(メタモルフォーゼ)させることで、個々の古裂が持つ無数の物語を作家の思いとともに再生、伝承していきたいという。
本展では初期から最新作まで、大作を24点展示していた。
展示室で作品を前にすると、個々の古裂が持つ色柄や質感、それをいかして再構築され新たな意思を与えられた古裂キルトに圧倒される。
ただ綺麗な打掛やら帯やら、着物の素材があるだけでは成り立たない。美しいものを集め、切取り、デザインを練り、緻密な手作業(キルトの上から更に刺繍をほどこしている部分もある)を繰り返すことで生み出されている。
質感の違いなどが気になり「これはどう作っているのだろう?」と興味が湧く。同じように知りたくなる人が多いのだろう。制作工程がパネルで紹介してあり、その手間の多さに驚いた。
ガラス張りの展示室の作品は撮影不可だったが、優美な紅色の古裂で描かれた宍道湖の夕陽《雅紅》は息を飲むスケール感! 放射線状にほどこされた刺繍が、より雄大さを引き出していた。
また、面白みのある古裂を使った作品にも目を惹かれた。
大山詣り(神奈川県伊勢原市にある山。江戸時代参拝ツアーが流行った)でつかう行衣(ぎょうい)の名入れされた部分を切取り、山肌にあしらった《大山 行衣の記憶》。個性あふれるフォントの古裂は、一世一代の参拝登山を楽しむ江戸の人々を表すようだった。
《睡蓮三部作》は「背景のこの生地はなに?!」という驚きから入った。蓮が浮かぶ濁りのある水に使われていたのは、なんと“蚊帳”! 泥水に浮かぶからこそ睡蓮だよな……と、リアリティのある美しさを堪能した。
やっぱり古裂はワクワクする! ここまでも十分過ぎるほど綺麗な古裂を見倒してきたが、実は今回いちばん会いたかったのは、《神鹿》である。
銅についた緑青(ろくしょう)みたいなグリーンが素敵な春日大社の神鹿。幸せの青い鳥ならぬ、幸せな気分を運ぶ緑の鹿。
松濤美術館で須田悦弘さんが補作した《春日若宮神鹿像》を見て、しばらく「誰かの気持ちを汲んで補って作品を作るってどんな感じなんだろう?」と補作について調べていた。その流れで、八幡垣さんの《神鹿》を見つけ、「見に行きたい」となったのだった。
古裂キルトと補作。他の誰かの思いを継いで作られる作品に触れて、なんだか広がりというか、心豊かな気持ちを味わえた。
そして、神鹿ばかり見ていたら、生身の鹿にも会いたくなった。
春になったら、鹿に囲まれる場所にも出かけたいな。