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『宝石の国』完結に添えて

フォスフォフィライト……フォス……本当にお疲れ様。

何と美しい終わり方だろう。今までが地獄だっただけに、こちらまで解脱した気分。

この作品が描く世界観には、私も多分に共感している。人間ら有機生物の世界はいずれ滅ぶ。『宝石の国』でも人間はその性質に抗えず、勝手に滅んでいった。骨、魂、肉としてその要素が残されたものたちも全て消えた。最後に残るのは、何の悪意もない、人間的要素が一切入っていない無機物たちの世界。

本当によくわかる。人である以上、全てに感情を揺さぶられることを強いられる。何かを成し遂げた。何かに失敗した。誰かが生まれた。誰かが死んだ。人の欲望と悪意に満ちたニュースの数々。

しかしこんなもの、悠久を思えば何のことはない。どうせ死んで何もなくなる。宇宙の元素たちと交じり合う。自分だけではない、いつかすべてが消え去る。ならばなぜ、こんな些細な事に悩んだり、感動したりする必要があるのか。疲れる。疲れる。個々の人間を演じることに疲れる。

漫画としては非常に珍しい展開だったと言える。人を滅ぼすなど、大体は最後に「人間にだっていい所はあるんだ!」と陳腐な結末に持っていこうとするものだが、一貫して悪であることを描き切った。

あんなに可愛がっていたフォスを疎外した仲間たちも、ヘイトを集めるだけ集めて本当に最後までフォローがなかった。自分のことしか考えない、所詮は人間の一部であった宝石たちは、自分が解放されるためにフォスを利用した。そこには一切、同じ宝石としてのフォスに対する情はなかった。

序盤中盤で漫画らしい個性豊かだった宝石たちは、最後には没個性のモブとして消えていった。あんなにも表情豊かで、宝石にまつわる体質や性格などの設定を盛り込んだ仲間たち。フォスと悲劇的な別れや、衝突をしてきた数々の宝石たち。そんなものに、何の意味も無かったのである。こんなの普通の漫画では絶対にできない。ごめんねフォス、ぐらいの発言は入れそうなものだが、ありきたりな贖罪の展開をこの作者がするわけがなかったのだ。恐ろしい。

もちろん彼らも苦悩していたことだろう。詳しい描写は無かったが、フォスの前に集まる彼らの顔は、まさに生きる意味を失った亡者のようであった。生き続けることの辛さ。最初は月人としてエンジョイしていたが、次第に飽和していき、末期には感情すら抱くことがなくなったのだろう。「ありがとう」とは、生き地獄から早く成仏させてほしいという、最後まで自分勝手な望みだったのである。

ここまで不思議だったのは、なぜ作者は宝石たちにこんな薄情な態度を取らせたのか、である。今思えば、それはやはり人間としての悪徳を強調させたかったからに他ならない。フォスは人間らしく周りから愛されるため、奔走し、疎まれ、逆恨み、絶望の果てに悟りの境地を得た。対してその他の宝石たちは、一見すれば仲間思いで人間らしい感情に溢れた存在であったが、結局は人間らしく、フォス一人を犠牲にし、誰一人助けに行くこともなく自らの欲望を叶えた。人間を超越したフォスと、人間の残りカスに過ぎなかった宝石たちとでは、顛末が180度異なっているのである。

私は一貫して、フォスが哀れで仕方なかった。別に、勝手に空回りして見捨てられた彼に同情したから、とかではない。こんな道化のような役回りを押しつけられた不運に対してである。皆のために祈ることができるのは、誰からも愛されたいフォスの性質が不可欠だった。そしてフォスが何をしようと、結局は人間の業を背負って消えていくことを運命づけられていた。最後に消えていく選択を取ったのは本人とも捉えられるが、橋を燃やせという命を受けた以上、これすらも運命で片付く話だ。

これは彼にしかできなかったこと、しかしそれは自身の能力などではない。何かフォスがすごかったとかではなく、ただフォスフォフィライトの純粋さをもって生まれた、そういう運命だっただけという話である。介入する余地はない。何ともやりきれぬではないか。

でも最期に、あのかわいらしいフォスの笑顔を見ることが出来たのが、私にとっての唯一の救いだった。憑き物が落ちた、責務も何もかも脱ぎ捨てて解脱するフォス。自分を利用した仲間や先生を最期まで思ったフォス。苦しみ故に他者によって消されることを望んだ、救いようのない人間の残滓たちとは異なり、ただ一人、自らの意思で満足して終えることができた。「かるい」。尊き人が死ぬ時、こういう境地に至るのだろうか。少なくとも私は、こう思いながら死んでいきたい。

何だかとても勇気づけられた。単純に見れば、人間に存在価値なし、生きている意味もなし、と漫画としては希望の一片もないオチなのだが、同じ価値観を共有できる作品に出会えたことが何よりも嬉しかった。

何かに追われるかのように、毎日悩みながら必死に生きている私。しかし、そんなことに何の意味もない。何も抱かなくても良い。不思議な感覚だ。仏教的な視点を初めて理解できた気がする。現代の集金マシンと化した宗教界には辟易とするばかりだが、この根本的教義を皆忘れているのではないだろうか。

完結まで時間はかかってしまったが、まさかこんなところで人生の教科書に出会えるとは。これもまた、運命なのだろう。

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