『初恋の悪魔』〜劣等感を抱きながらも優しさと前向きさが行き着く先〜
1.はじめに
11月の三連休、日本シリーズ観戦のために予定を空けていた。試合が始まるまで何か見ていない連ドラを観ようと何となく思っていた。そして土曜日の目覚めてすぐに思いついたのが「初恋の悪魔」だった。多分、大河ドラマ「光る君へ」を観終える前に道長様以外の柄本佑を摂取したいと心のどこかで思ったんだと思われる。
2.言いたいこと
①.僕が〇〇できなかったということは、誰かが〇〇できたということだから
自分を卑下して、勝手に自分の立場を低く考えてきた悠日の口癖
「僕が〇〇できなかったということは、誰かが〇〇できたということだから」
最初に私が聞いたときの印象としては、本当は違う結果を求めているのに上手くいかず自分にしょうがない、諦めようと言い聞かせている印象を持った。
そのため、第1話の中で悠日に向かって
小鳥 前向きなのは結構だが、社会を悪くする前向きさもあるんだよ
と言うシーンがとても印象的で、よく言ってくれたぞ、と思っていた。
けれど、第6話の悠日と星砂がカーテンをつけるシーンでの悠日の語りから悠日の人物像が少し変わった。我慢している時期なだけで、諦めている訳ではなく、これからまだまだ自分も輝きたい気持ちが感じ取れた。何かで成功するためのマインドとして、優しい心の中に機会を待つために前向きさを常に持つという考え方があることを理解することができた。
第6話の悠日の語り
悠日 根拠のない大丈夫は優しさでできています。
悠日 僕は前向きな言葉が好きです。空を飛ぶには滑走路が必要だとか、雨が降ると虹は出ないとか。そういうのって綺麗事に思われるかもしれないけど、綺麗事を口にしてきた人って泣いてきた人だと思うんですよね。
悠日 綺麗事は、始めは綺麗じゃなかった。たくさんの人が泥を拭いて涙と血を拭いて綺麗になったと思うんです。
悠日 今はそういう時期なんだと思います。
②.坂元裕二の“新しい″恋愛関係
同じ人物に対してふたりが好意を寄せる三角関係はよくあることだが、二重人格の人物に対してふたりがそれぞれ違う人格同士と想い合うパターンは初めて見たと思う。(書いていて思ったが今回のパターンは三角関係というより四角関係になるのか)
そんな二重人格であることから起きる、恋人なのに恋人じゃないギクシャクしたやりとりや、恋敵に対して相手を独占したくなる気持ち、優位に立ちたがる気持ちが丁寧に描かれていた。観ていて新しさを感じつつも、根本的には普遍な恋愛に対する心情が飛び交っていたためラブストーリーとしても楽しめるようになっていた。気を衒いすぎていないというかね。
私は、最終回の最期の鹿浜さんと星砂の夜風に当たりながら散歩するシーンがいちばん悲しく温かいシーンだと感じた。
他にも、全話を通しての森園の立ち位置の巧妙さや、鹿浜さんの奇人さから人の心を備えていく様子、音楽のかっこよさなど言いたいことはまだあるが、またいつか!