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とにかく母に愛されたかった幼少期①
貴方は自分が物心ついた頃の記憶、思い出せますか?
私の記憶の中で最も鮮明なのは、母親に首を絞められている時のことだ。
恐らく、保育園に通っていた頃だろう。
私の部屋は、まるでゴミ屋敷のようだった。服がそこらじゅうに散乱し、もちろん洗濯されていなかった。洗濯されていない服特有の、甘いような臭いが漂っていた。
そして、ビデオやCDが散乱し、床はどこにも見えなかった。鼻炎の母親が丸めたティッシュが、無造作に転がっているのも常だった。物心ついた時から、そんな光景が目の前に広がっていた。
寝床だけは、ゴミだらけの部屋にポッカリと二つの空間があった。
私はその一つに寝ていて、母親が私に覆いかぶさっていた。
両手で私の首を添えられる感覚が、次第に強くなり、苦しくなっていく。そこから先の記憶は、まるで霧の中に消えてしまった。
今、こうして生きているのは、きっとその時、母親が私に殺意を向けなかったからだろう。
だが、母親が私に対してそのような感情を抱いたのは、その後もう一度だけだった。そのことは、また別の機会に話そう。
そのため、今でも首に触れられるのがとても苦手である。首に圧迫感を感じると、すぐに苦しくなり、ソワソワしてしまう。
病院でも、美容室でも、その感覚に苦痛を覚える。誰か、この苦しみを解消する方法を知っているだろうか?
次に思い出すのは、保育園の父の日のことだ。物心ついた頃から、父親がいなかった私。
その日、保育士さんが「今日はお父さんの似顔絵を描きましょう」と言った瞬間、困惑が広がった。「お父さん?」その言葉の意味がわからなかった。でも、「私にはお父さんがいません」と保育士さんに言えるような性格ではなく、適当に描くことにした。
帰宅後、母親が私の描いた創作父親の似顔絵を見て、「すごいね。そっくりだね」と褒めてくれた。その時、私は嬉しくなり、その創作父親を自分の父親だと思うことにした。
その気持ちが今となっては、胸が苦しくなる。母親の心境を考えると、どうしても同情してしまう自分がいる。
毒親と呼ばれる人々の中には、自分の親を憎んでいる人が多いと思う。もちろん、私も憎い。憎くて憎くて、どうしようもない。早くこの世から消えてしまえばいいのに、今でもそう思うことがある。
それでも、母親の育った環境や、今の母親を冷静に考えると、完全に縁を切ることができない自分がいる。今でも母親とは交流があり、彼女は私にほとんど関心を示さず、私もほとんど連絡をしないが、それでも一応の繋がりが残っている。
それは、きっと情というものだろう。酷いことをされてきたのに、他の人たちに比べればそんなことはないかもしれない。でも、心の奥底で、「いつか私が母を完全に他人と思える日が来るのだろうか?」と、そんな不安を抱き続けている。