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棟方志功巡礼の旅...マエガキ

これから数回にわたって、昨年に、北陸地方へ棟方志功の足跡を追った旅の記録を綴っていこうと思う。彼は第二次世界大戦中に富山県へ疎開していたので、かの地に様々な文化遺産が残されているのだ。(旅の主旨はもちろん聖地巡礼しながら作品を拝むというのが目的。その上で、方面が同じ石川県金沢市も訪れ、棟方志功とは関係がないものの大きな収穫を得てきたため、そちらは番外編として、先にお届けする予定でございます。あしからず^^)

若き頃に、氏の大作『二菩薩釈迦十大弟子』が偶然目に飛び込んできた時の衝撃。(そのことについてはすでに別で記事にしてあるので、よろしければ併せてお読みいただければ幸いです。)当時呆気にとられた感覚はいまだに鮮明で、『二菩薩釈迦十大弟子』の展示の情報を得ると、近場でチャンスがあればあちこちに出向いて拝見してきた。
そして、いつしか遠方の美術館まで足を運ぶ大ファンになっていたという。

棟方志功氏は“世界のムナカタ”と称され、言わずと知れた美術の巨匠だが、敢えて言えば、筆者にとってはその肩書きが重要なわけではない。確かに、『二菩薩釈迦十大弟子』がヴェネツィア・ビエンナーレでグランプリを獲得したのは実に妥当というか当然と感じる。ただ、そういった社会的評価とはまた別に、あれだけのものを生み出し続け人を魅了し続けているということのほうが、こちらにとってはよほど?値千金であると言えばよいだろうか。

当秘境の序文や、他の記事でも少し書いている、学生だった頃から心の中の大きなうねりを持て余すように感じ始めたのは、結局は感受性が強いという一言に尽きるのかもしれない。しかも、平穏だった世界が徐々にぐらぐらとしていった時と重なり、それでもどうにか平衡感覚を保とうとして、きっとそれには邪魔だと思った感受性だけを殺すつもりで過ごしていたら、いつの間にか死に向かっていた。当人は『これで穏やかになる』ぐらいのノリで。ただある日はっと正気づいて、そこから、美しいだけでなくても彩りのある世界を受け止める感覚を、少しずつ取り戻していく。

覚悟を決めていったんだと思う。
楽しいことや素晴らしいことだけ感じたくても、この感受性を持って生きる限りそれは無理であると。ただ、苦しいことや不快なことがあるとしても、美しさに率直に心が動かされるなら、それが自分の人生においては最も大切なんだよ、とわかるための経験だったのかもしれないなと。

自分よりずっとひどい目に遭ってきた人も世の中にいるはずで、そう思いを致せば、「それも試練だよ!」などと人様に安直に言うのは実に憚られる。(少なくとも他人から言われる筋合いのことではない。)ひとつ学んだのは、死ぬとこだった…と後から考えたら普通にこわかった、ということで、しかしたら皆様も頭の片隅に留めておいていただければと。

しかしこの猛獣、マジでどうにかするには工夫が必要でして。(へろへろ)

ヘタに抑圧したら調子が悪くなると今はわかる。
じゃあ社会で垂れ流していいかというと、そういうわけにもいかない。
まあ、日常的にアンテナにばかりフォーカスしても疲れますし…。
なので、筆者はドライ優位モードに自動的に切り替わる普段の社会生活も、健康には必要というか、案外好きだったりするのだ。(元々ドライなところもありますからね) ある意味での器用さで、今のところ何とか社会に適応できてるという感じ?いいのか悪いのかわからないけれど。

そんな筆者の傍らにいつもあり、時には鎮め時には開放し、助けてくれてきたのは文化芸術だった。本当は言葉にならない・できない部分も多くある。ただ、その瞬間の感性をあらためて表現することによって、深めることならできるような?

くだらないと思うかたもおられるでしょうが、筆者とは感覚というかものの捉え方や考え方が違うというだけですから、ご自身はそれでよろしいのではないでしょうか。

では、次回から、いよいよ番外編の金沢探検隊の模様をレポしていきます!
いきなり番外編で恐れ入りますが、よろしければ秘境の扉が開くのをお待ちいただければ。よろしくお願いします😊


※トップ画は福光美術館内で押させていただいた来館者用の記念スタンプ♡

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雨ふらし
妙なもん見たけどなんか元気になったわ…というスポットを目指しています