詩集『熱帯』 雨
この詩はかなり説明的である。東南アジアは亜熱帯だったり、熱帯だったりして、四季はない。雨季と乾期があり、雨季には一日のうち、どこかで必ず猛烈だったり、静かな雨だったりするが、雨が降る。熱帯のどしゃ降りについて、サマセット・モームはこんなふうに書いている。
しとしとと降る英国のような雨ではないのだ。無慈悲な、なにか怖ろしいものさえ感じられる、人はその中に原始的自然力のもつ敵意といったものを感得するのだ、降るというよりは流れるのである。まるで、大空の洪水だ。 神経もなにもかきむしるように、屋根のナマコ板を騒然と鳴らしている。(新潮文庫 サマセット・モーム著『雨・赤毛』41頁)
その[熱帯の雨]をわたしはこんなふうに詩に書いた。
雨
本当にそれは沛然という言葉を絵にしたような激しい猛烈な雨だった
アジアの内奥 微笑の国タイのビルマと国境を接する熱帯の小都市の
オープンマーケットで 天の堤が切って落とされたようにいっせいに
ピアノの鍵盤をたたきつけるように勢いよく雨は降った
いまは雨期だった 一日に一回必ずものすごい勢いの雨が降ります
旅の切符をまとめてくれた旅行代理店のH氏にいわれるまでもなく
熱帯の雨期のならいを知らないわけでもなく
昔 赤道でスコールにであったことがなかったわけでもなかったが
異郷の雑踏で足止めをくらってふりこめられた 初めてのアジアの
雨の雨足は 予想を超えてはるかに激しく
この小さな街の奥に積み上げられた一切の恩讐を洗い流そうとして
経験の浅い性欲と情熱のようにただただ激しく降りつのるのだった
そして小さな庇のなかに空を見上げて雨宿りするなかで 雨は突然
小やみになった それまでの経緯をすっかりと忘れたように
名残をとどめた濁った雲の足早に流れる 禍々しい空を見上げれば
雨は上がったのではなく光はまだ雲間からこぼれ出ず雲を輝かせて
この国とこの大陸の歴史のように入り組み混じり合い
未練と名残りをとどめて滅んだ 王国のごとき妄執にふち取られて
もちろん このときのオレが時間を旅する旅人であるわけではなく
その古代の王国の有様を知る術もなくただただ熱帯の密林に消えた
栄光と野望と夢の軍勢をしのぶばかりの六月のチェンライであった
いくら雨に打たれても洗い流せない 過去を道連れにして
四十代にも優れた詩人であったということがわかるように
オレは南国の思いとこのみじかい旅の記憶を一冊の詩集に
まとめておかなければならない
つづきます。