見出し画像

あ る 地 名 の 風 景

どこの土地でも
神社が最も古い開拓の核だそうです。

牟礼にもありました。牟礼神明神社・・
ちょっと周りより小高い場所です。

境内には神社の縁起とともに
村の開拓の歴史について説明があります。

これによると、牟礼村は1590年に
小田原北条氏の関係者によって開かれたことになっています。

村はこの年にできたかもしれませんが、
“むれ”という地名がいつの時代からあったのか・・
これはまた別です。

村を開くにあたって新しく考えたのではなく、
おそらく、元々このあたりを呼びならわしていた
地名を採用したはずです。

今なら平気で新しく考えるのですが(笑)

明治期の歴史地理学者吉田東伍は
「山を古語で“むれ”と言うから地内の神明山のことだろう」
こんな意味のことを「大日本地名辞書」に書いています。

山を古語で“むれ”・・?

調べてみると、
今でも九州では山と書いて「むれ」と読むのは珍しくないと言います。

さらに“むれ”が変わって“むろ”になり、
大室、小室、御室、高室・・こんな地名になったというのです。

伊豆に丸いドーム型をした大室山がありますが、
あれは“大室”だけで「大きな山」という意味になるわけです。

“むれ”や“むろ”は特別に形が良いとか
目立つ山容などが多いといいます。

三鷹の牟礼の場合、
神社がある場所はまぁ、高いといえば高いのですが、
とても山なんていう高さではありません。

でもおそらく、周囲が平地だから
ちょっとした丘でも目立っていたのかもしれません。

この丘を“むれ”と呼んでいたのが
いつしか一帯を指すようになり、やがて村名になった・・・
こんなところでしょうか。

400年を経た今でも
三鷹市の町名としてしっかり生き残っています。

でも、その意味は誰も知らない・・
地名は不思議で儚いものなのです。

(東京都三鷹市)


いいなと思ったら応援しよう!