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「素の自分」を言語化してみる

素の自分、頑張らない自分でいるのは、ちょっと怖いと感じる。
けど、素の自分でいようとしている。

素の自分を、そのままでもいいよ、って受け止めようとしている。

素の自分ってどんなのだ?


素の自分

自由すぎる私。
ルールにしばられたくない。
ルールを自分でつくってしまう。

人の気持ちを考えない。
自分が楽しい、を優先してしまう。

人のことが気にならない。
自分が攻撃されない限りは、何でもいい。

ぼーっと考え込んでしまう。
興味のある情報を目にしたら、そのことばっかり追いかける。
広く深く、追いかけたい。

でもすぐに、違うことに興味をもつ。
そしてまた、その違うことを広く深く追いかける。

気がついたら、風呂敷を広げすぎる。
いろんな情報がとっ散らかっている。
でも、それが楽しい。

整理しなさい、片付けなさい、と言われると、
急に気持ちがしぼんでいく。

とっ散らかしてる瞬間が、とても楽しい。

ぴんっとアンテナが立つときがある。
心にわーっとたのしさがあふれる。

素敵なご縁に、またうれしくなる。

言葉にならない喜びがあふれる。
でも、人にはうまく伝えられない。
ただ、喜んでいる。

似た者同士で遊んだ

本質的に似た人がいっぱいいる状態だと、とても心地いい。

子どもも含めて、似たような人が10人近く集まって、一日、一緒に遊んだ。びっくりするほど楽しかった。

子どもたちも、最高に楽しんでいた。

なんでかって?

普段、人が集まると、「普通」を気にしないといけないところ、みんな「自由な人」ばっかりだったから。

無意識に感じてる窮屈さを、まったく気にせず過ごせた貴重な一日だった。

みんな、口をそろえて言う。
予想以上に楽しかった!!

その直前の怖さ

私、幹事っぽいけど、何も用意しなかった。
一応、みんなが連絡取れるように、仲を取りもったけど。本当にそれだけ。

誰かが、こうした方がいい?って言ってくれたら、それをお願いする。

私は何も具体的には考えていない。
全部、人任せ。

もっと、ちゃんと考えろ!もっと調整しろ!
(でも、しなかった。できなかった。)

そんな怖さがあった。

その直後の怖さ

あまりにも「素の自分」で一日を過ごせてしまって、それが怖かった。

人に迷惑をかけてないだろうか。
失礼はなかっただろうか。

考え始めたら止まらない。

でも、やっぱり、ここは、自分の楽しかった気持ちだけでいい。そう思うことにした。

楽しかったということを、しっかり言葉にして、みんなに伝えた。

自分がどうにもできないことで、悩むのはやめておく。

自分のがめつさや、自由さが前面に出てしまって、少し恥ずかしい。
でも、そこにいた人たちは、程度の違いこそあれ、共感できる人たちだったのかもしれない。

勝手に想像する「ダメだったかも」はある。
でも、それを目の当たりにはしていない。

素の自分で楽しい

結局、参加者のみんながみんな、最高に楽しかったのを確かめて、ほっとした。

「素の自分」でいようとすると、なんとも言えない「怖さ」に直面する。

でも、きっと。怖いけど、ほら、大丈夫だったよ!を繰り返してるのだと思う。そうしてるうちに、少しずつ、慣れてきてるのかもしれない。

そして、少しずつ、「頑張らない自分」も受け入れていっているのかもしれない。

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