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どこまで「頑張らない自分」でいけるか試している
素の自分で社会生活を送るのは、怖い
めっちゃ怖い、と感じている。
歯と頭が痛くて、普段のように気を遣えない自分がいる。
いつも一生懸命、自分の素を隠そうとしているのに。
隠すためのエネルギーが、痛みを抱えてることで、消費されてしまう。
素の自分が出てしまう。
素の自分で社会生活を送るのは、すごく怖い。
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素の自分はダメなのか、試している
頑張ってる自分には、自信を持てる。
頑張ってない自分には、自身が持てない。
いつから、こうなんだろう。
いつからか、社会に適応するには、素の自分ではダメだって思ってきた。
素の自分は隠して、仮面をかぶって、鎧を身につけて。生きていくには、必要なことだと思ってきた。
でも、もしかしたら、素の自分でも大丈夫では?と思えるようになってきた。
さて、痛みを抱えて、自分を守ってきてくれた仮面と鎧を外さざるをえなくなった。
こわい。めっちゃ怖い。
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崖から飛び降りる思い
どこかで、「怖いと感じることをするのは、良いサインだ」と見たのを思い出す。
きっと、こっちの方向で大丈夫。
コンフォートゾーンから出るのが、怖いと感じてるだけで。
崖から飛び降りる思いで、えいっといってみたら、新しい世界が待っていた。
そんな話を、ずいぶん前に目にしたと思う。
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自分を隠さないことに慣れる
怖いけど、できるだけ自分を隠さずに過ごしている。
「あ、素が出てしまった」と思うことを繰り返し、
「相手はどう思っただろう?」と思いを馳せてしまい、
「いや、まずは自分の思いに目を向けよう」と、視線を自分に戻す。
それを何回も繰り返してる。
素の自分を隠そうと頑張っている自分から、脱出しようとしているのかもしれない。
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慣れてくると楽しい
少しずつ、怖さは薄れていってるように思う。
たまに、素の自分が楽しくなってきてもいる。笑えてくる。
どんどん素の部分が大きくなって、それを受け入れてくれる人たちを確認できる機会も増えてきたのだと思う。
素の自分が受け入れられている。
別に白い目でも見られていない。
そのままでも大丈夫。
その安心感ったら、半端ない。
すごくうれしい。すごく楽しい。
何よりも、自分が自分のことを、白い目で見ないようになったのだと思う。
他の人の視線を、気にしなくなってきた。
「まずは、自分を大切にする」が板についてきたのかな。
このまま、「頑張らない自分」「素の自分」が、どんどん大きくなっていけるといいな。