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世界がひとつになれませんように

友達夫婦の家で、おれとカナダ帰りの女だけいた。でっかいソファにふたり並んで半分眠そうにしてテレビのロードショーを見てた。カナダで彼女はテクノのイベントに行ったり合法の麻薬をやったりとても開放的な人間になっていた。たいして興味もない映画が濃厚なラブシーンになって急に恥ずかしなってきてムードがピリついた。なにか話すことはなかったかと会話の糸口を探すがどうにもならず、テーブルの酒に手を伸ばして飲むのがやっとだった。二人ともかなり酔っていた。照明が薄暗くて、キッチンの灯りが観葉植物をぬめぬめ生き物みたいにさせている。映画の色合いで部屋の色も変わる。

なぜ友達の家でおれら二人、こんな濃厚なラブシーンをだまって観なければならないのか。ああいやだ、もっと和やかなムードに戻さねば恥ずかしくてたまらん。気まずくてかなわん。なんかさっきからいように距離が近くないか?こっちはソファの肘掛に寝そべるように座っているが、彼女の体がだんだんもたれかかってくる。ドキドキする。なんだこれは。かといって彼女の方を見る勇気もなく、流されるままに彼女の体重と肉を胸や肩で感じながらなんどもなんども酒を口に運んだ。
ふと彼女が離れて体勢を整えた。あらっ、と思ってそうだよね、ちょっと眠たかっただけですよね、そんなことにはならんわ、だって友達の家でそんなことはね、と自分に言い聞かせながらドキドキ落ち着かせていると、ブチっという音がして、そのあと思いっきりおれのほうに抱きついてきた。ウヒョオオオーー!
「ド・ドウシマシタカ○」と童貞ロボみたいな口調で彼女に触れるとこの感触。エッと思って彼女の肩を持ってはなすとこんな光景、潤んだ瞳。

上半身裸。

ウッッッッッッッ、ヒョー!!!!ブー!!!
!!!!鼻血ブーーーーー!!!ぶーしゃからか☆ぶーーーーーーーーーーー!!!!!!、!!

それでもう乳首いじるは舌絡めあうわてんやわんや師匠が窓からダッシュして隣のアパートに激突。めっちゃびっくりしたやろうな。その階の人。とにかくむちゃくちゃセックスしたんです。
いや実際はなまめかしいねっとりしたスローセックスをして愛しあっていたんですが、彼女のほうがなんというか不満がった感じであれ?おれの性技がきかねー!ってなったんですよ。聞いてます?おれの話?

「聞いてます。」

そう、それでぜんぜんな感じでいったいどういうこと?って思って。そしたら結局おれもイケず彼女も絶頂しないまま微妙な雰囲気で終わった。裸のまま泣きそうな顔で彼女が言う。「これが普通のセックスなの?」そうだ、たしかにこれが普通のセックスだな、うんそうだ、とか言ったら彼女が泣き出してしまって、叫ぶんです。「やっぱり!ガニオンがわたしを開発してしまったのよ!」

誰?ガニオンて誰?って思ったんだけど要するにカナダでできた浮気彼氏のその欧米人さながらのスポーツ・セックスがものすごかったらしい。ケツはぶったたく、ヨダレは飛ばし合う、穴にガシガシ指突っ込んで潮は吹かせるはピストンのスピードなんて「まるでマシンガン」らしく、そういう激しいセックスにドロドロに溶かされた彼女は帰国後結婚する予定だった彼氏ともぜんぜん体の相性が合わなくなってしまい別れてしまったという。


すげー、ガニオンすげー。
でも嫌だー。いってもそんなぐちゃぐちゃ激しいセックスはしないでしょ。たまにはしても、いきなりはできないでしょう。

そのあとは気まずいまま服着て、服着終わるか終わらないかくらいで友達夫婦が帰ってきて、非常に焦った。まあなんとかバレなかったけど。あとからまた2人くらい友達が来て6人で飲み会になったけどこのなかなか奇妙な興奮が治ることはなかった。

それで目が覚めてムラっとしまして、昔テレビで宮迫が言ってたんだけど「朝起きた時、今日おれエロっむっちゃエロって思う時ない?」っていう感覚?最近になってわかってきた。きのうがヤバかった。一日中ムラムラしてて帰りはちょっとコンビニから走ってしまったんです。「性欲が抑えられないJKは帰宅後制服を脱ぐ暇さえ惜しく部屋に入った途端する盗撮オナニー」みたいな企画モノがありますけど前々からそんなバカなあ、と鼻で笑ってたんです。でもきのうは違った。性処理がしたくてしたくて夜道を全力疾走して家に帰りついた途端行為に走りましたよ。ものすごい渇望感があった。自分のものを握った途端の多幸感、全能感といやあ筆舌に尽くしがたい。こんなことはなかなかないですよ。

それで今朝のこの淫夢でしょう。「どうしちまったんだっ。おれの性欲が爆発しそうだっ。ぼっぼっ。」という感じでとりあえず一発抜いたけどぜんぜん治らないわけです。電柱とか見てもボーっとムラムラしてくる。

それでヤバイなー強姦魔とかこんな感じかーとか思いながら今日一日仕事したわけですけども最近ストレスがヤバイんですね。それできのう完成した動画を上司にみせましたらオッケーだったと。しかしこれだけで終わるわけがないんです。この上司はほんとに、無能なんです。「うんかっこいい。で、この動画のパーツごとに分けて作ってくれた?」

そんなことはおれはきかされていない。だいたいどういうことなんだ?できたのはできた。それを別の職場のところへ持っていって、そこでおれが作った動画のパーツをその都度その場の人たちが組み替えられるようにするんだと。たとえば後ろにテロップを入れたり、順番を変えたり。

ほんとに嫌だと思った。

一応今回動画は後ろの映像と、最初と終わりの文字の出方の二つの組み合わせでいけたからまあ今日中に終わらせることはできたが、問題はこの仕事の性質だ。「別の職場のひとたちが使うように動画を作る」ってなんなの?おれらの職場のためになることはいっこもないじゃない。まあそれもまだ我慢するよ。いちばん腹立たしいのは結局、つまるところそっちの職場に動画をつくれるやつがおらん、ということで。それならそれで作らなくていいんですよ。わざわざ別の職場の人に頼むことじゃねえだろ。そんな毎年毎年、一新してるわけでもないくせに。しなくたっていいことだ。つくれねーんだったらつくんじゃねえ。人に、しかもいちばん下っ端のおれになんでもかんでも押し付けやがって。きのうだってそうだ、おれが全部の仕事の指示ができるんだ。このおれがだぞ。クソみたいなこの男のおれが、「じゃあ〇〇さんはあっちであれを用意しといてください、バツバツさんはこっちで縄縛って、サンカクさんはホワイトの紙を用意してください。ゴゴゴゴさんは照明と鍵用意してきて、ギギギギさんは椅子を並べましょうか。あっ無線機貸してください。ジャジャジャジャさーん、聞こえますかー?」ジャジャジャジャ「ガリガリガリガリガリガリガリガリレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロレロ」

頭おかしなるわ。

そんな感じで一通り設置が片付いたらおれはみんなより無口で歩くのも早いからなんかその7、8人をおれが引き連れてるみたいな気がして恥ずかしいったらないわけです。なんでおれがこんな立場になっているんだ?もっと不真面目にてきとーにやってればよかった。先輩なんかみんないい感じでサボれてる。おれほどあっちこっち仕事を抱えているやつはいない。だれか見ていてくれないのか?おれの活躍ぶりを見て褒めてくれる人が一人でもいれば生きていけるのに。

それでなんで最近グループラインでめちゃめちゃになっているんだろうと思ったら、これはストレスでした。今まで気づいておりませんでした。自分がバカでクソだからこんな風になってしまうんだとメソメソ朝起きて死にたがっていたが、これはおれが悪いのではない。いまおれの人格が90悪いとして、少なくとも10は仕事のせいだ。センブ氏がわかりにくくいっていた意味がわかった。「もう少し人のせいにして生きろ」ということを言っていたんだ。お前らが悪いんだと。そんなことを心から一度でも思ったことがあるか?なかった。あったとしても、

「おまえらが悪いんだ(でもそんなおまえらと一緒にいなきゃいけないおれの不勉強、頭の悪さ、不真面目さがたたっていまそんな状況に陥っているんだけど)」というカッコつきでしか言えない。結局自分責める。

これは非常に非常に救いようのない、破滅的な思考回路です。小中高大と持ってきたもので、いまさら治るということもない。解決策はただひとつ、とにかく不真面目でも自堕落でもそれなりに頑張って今より良い環境に自分を持っていくしかない。めちゃくちゃうっとおしい。死ぬまでついて回るだろう。

ならば「自分はそんなゴミなんだからいい環境になんか憧れずに諦めて自分のゴミを認めなよ」というくらいニヒリストになれればよいが、おれはそれは無理なんだ。

「どうしてですか。」

自分でそんなこと難しく考えたことはないけどとにかく生理的に嫌いなんだよ。顔つきが、醒めた野郎ってのはおれは出会って3秒で顔に下痢塗りつけたくなるくらい嫌いなんだ。顔つきがなんか、ワシみたいなとんがった感じあるだろう。死ぬまで拷問して絶対に「すいません!気取ってましたあ」っていう言葉を吐かせてやる。嘘つきなんだそんなものは。

イストか、面白い質問をする。先生ほかには何イストってのがあるんだい?

「(おや口調が変わった...こいつは第二の人格のミツルだな)リアリストなんか、どうです。」

そいつあなんてんだい。

「(ほら江戸っ子口調になって強がってる。やっぱりミツルだ)小林秀雄の逆です。プラトンの逆です。」

おっと先生、午後6時だ、定時になった。酒を飲ましてくれ。やあやあ、今日は仕事終わりで肩の荷もひとつおりたから羽をのばさせておくれや。
よろしい。うまい。それで、なんの話だっけ。リアリスト、小林秀雄の逆。プラトンの逆か。くだらねえ野郎だなそいつは。しょっぴいてやんなくちゃ。まるでおれとは違うね。

「そうですね。あなたとは真逆かもしれません。いや真逆ということでもないかもしれませんよ。」

いったいどういう意味だい。

「小林秀雄やプラトンの言ったような、要するに一般的に信じられてることは疑うべきで、もっと見えないものがあるんだといったような価値観。夕陽を見て涙を流すのは、化学や脳の回路や電気信号なんかで割り切れるものではない、たましいというみえないものは必ずあるんだという価値観。これはあなたと接していて感ずるところはあります。しかしあなたはそれを追い求めたり、証明するのではなく、その狭間で苦しんでいるのが好きなんだと思ったのが、きのうです。」

   きのうですか。

「(おや、また口調が変わった)きのうです。でもいまは違うかもしれません。」

それはいったいどういうことなんです?つまり、証明したいとは思っているのに、それに殉ずることができないから、いつまでも管を巻いているだけの飲んだくれ。わたしは、これを自分で望んで、自分で縛り付けているっていうんですか。それではただの、ただのマゾヒストじゃありませんか。

「(これは主人格だな)そうですマゾヒストです。」

そんなあ。じゃあ一生こんな風に苦しんで、心のうちではそれをうれしがっているっていうんですか?そんなことはありません!断じてそんなことはありませんよ、先生。だって僕は・・・。

「(わたしはこの人格と話すのが好きだ)冗談ですよ。きのう思ったと言ったじゃありませんか。今日は違うかもしれない。」

よくわかりませんよ。でもひとつだけ思うのは、僕はたしかに証明したい。いろんな人に自分の思っていることを言って納得させたい。自分を認めさせて、救われたい。でも僕は恥ずかしいんです。とてもとても恥ずかしいんですよ。人と違うように生きることが恥ずかしい。

「恥。自分でわかっているじゃないですか。あなたは、ナルシストなんですよ。それも超がつくほどのね。」

それだけは言われたくなかった!いやだ!世の中で一番恥ずかしい部類の人間だ。僕はノンスタイルの井上とか、狩野英孝を見たりして、学んだんです。こんな人たちのようにはならないようにしよう。人から馬鹿にされないような立派な人になろうと!

「(ほんとにこの子は可愛いなあ、いじめたくなっちゃう)いいですか、ナルシストというのはあんな風に自分が大好きで人の目も気にしないというのもいますが、まず一つの要因には恥をかきたくない、人から馬鹿にされたくないという気持ちというのがあるんです。あなたは小学校2年の時に急激に視力が落ちたでしょう。両目とも1.0あったのが、ひと月のうちにみるみる見えなくなって0.01まで落ちた。それでもあなたはかたくなにメガネをかけませんでした。コンタクトをするわけでもなく、裸眼で幼少期を過ごした。よく学業が身についたものです。」

こう、目をピーっと引っ張るんです。あくびして網膜に涙のレンズを作るんです。そうすると後ろの席でも黒板が見える。

「それで四年間ですか。裸眼で。なぜメガネをかけなかったのか。恥ずかしいからです。あなたほどのナルシストもいませんよ。恥ずかしいと思うことを、恥ずかしく思いなさい。いや、特別あなたを治療することもないのですから、これで自分を理解なさい。」

ああ、嫌だ。自殺したい。いますぐここで死にたい。ナルシストだなんて、言葉が悪い。他にもっといい名前をなんでつけてくれなかったんだろう!池に映った自分の顔に見とれて死んでしまうなんて、僕は嫌だ。たしかに先生の言う通り、恥かしいとおもうことを恥ずかしいと思って生きてきました。でもだからこそ頑張ってきたんです!いろんな仕事をしてきました。汚れた仕事も、いろんなこと。

「わかってるじゃないですか。つまりあなたの根本は「恥」なんです。「恥」にとりわけ敏感なんです。人が普通「恥」と思わないことまで恥ずかしくおもう。「ぽさ」が嫌いでしょう。天気の話をして大人「ぽさ」を演じている。ラーメンを食うなんて売れないバンドマンっ「ぽくて」気色悪い。いいですか。あなたは「恥」を恐れている。でもって、その「恥」を恥じることでとんでもないパワーや意見をもって、苦悩を乗り越えてきたんじゃないですか?」

苦悩?僕なんてまるで苦悩のなかにはありませんよ。そんな、自分のことを世の中のどんな人よりも苦しいだなんて、おこがましい。恥ずかしいことだ。

「そうそう、それですよ。あなたの本質は。なにをやっても恥ずかしいとおもう。だからあなたは型にハマらないように苦心する。それでいいじゃありませんか。それがあなたの特質で、人にはない、いいところだ。」

なるほど、話が読めてきました。つまり先生が先ほどおっしゃったように僕は、僕と言う人間は、認めてほしいという野心はあっても、それを実行するのが恥ずかしい、できない。でもそれが他にはない僕の特質だと、だから永遠にその狭間で苦しんでいるのが性にあっているし、そこが他にはないところで、何か他とは違うひょうげんができると、そういうことですね?

「(ほらこんな風に意見を反芻して、さらにそこに自分の理想をつけたしてわたしのせいにしようとしている。それで自分は汚い危ういところにはいない気になって、こんなに楽しそうな目をしている。少年かよ)そうじゃないでしょうか。」

じゃあ僕はこのままでいいんですね。人とは違うか...でもいいんだ...。

「(可愛いかよ)少し散歩をしましょう。たまには公園で静かに過ごすのもよいかもしれません。」


夕暮れから夜に変わっていく瞬間。なにごとも瞬間だけが美しい。永遠とは瞬間である。瞬間に永遠があるのだ。永遠とは、続くものではない。続かないからこそ永遠は見えてくる。しかしそれは何故だ。汚れていくのが決まっているから、美しいのだ。耐え難いからこそ美しいのだ。


「罪の対義語はなんだとおもいますか?」

え?やめてくださいよ。わかったようなことを言って、それから世論が反転したら、僕の意見が間違いだったらもう、耐えかねて自殺してしまう。だから僕はあんまり滅多なことは言わないようにしているんです。僕は恥をかきたくないんですからね。

「(可愛いかよ)これは太宰治の人間失格という有名な作品の、クライマックスで主人公の葉蔵が友人に投げかけた言葉です。罪の対義語はなにか。問われた友人は「法律だ」と言いました。」

なんだあ、あまりに単純で面白みがないですね。罪と罰って、言ってることと同じじゃないですか。そのままですよ。

「そうです。ドストエフスキーの小説の名前どおり、有名な言葉ですね、罪と罰。そう言われて葉蔵は一笑に付すわけです。でも、その当たり前な返答を受けた後、ハッと気づくのです。罪と罰、これは対義語ではなく、もしかして同義語なんじゃないだろうか。」

どういうことですか?罪と罰がいったい同じ意味だなんて...。

「そこで主人公は頭を巡らすわけです、もしかして罪と罰を書いたドストエフスキーは、この罪、と、罰、を、対義語でなくて、同義語として扱っていたんじゃなかろうか...待てよ、もう少しで答えが...。というシーンでこの結論は終わってしまいます。このシーンは長らくこれまで文学好きの間でひとつの論争を巻き起こしています。いったい太宰はどんな答えをもっていたのでしょう。」

ぜんぜんわかりません。見当がつきません。どうして太宰がそこで自分の答えを明確に筆にしなかったのかもよくわからないし、いったいどういう事なんです?

「太宰は自分の答えをそこでハッキリ表明しなかった。そこでハッキリと言葉にして自分の答えを提示するより、その後の物語で主人公がどのような結末を迎えたかで描こうとしたのでしょう。葉蔵はそのあとあることがあって酒と睡眠薬に溺れてしまって精神病院に入り、27歳を迎えたというのにその容貌は白髪混じりの40代であった、という結末に至ります。はたして太宰が罪と罰が同義語だと気づいて言いたかったことは何か。その後の葉蔵の行く末を見ても、またしてもよくわからないのです。」

いったい何に気づいてしまったのでしょう。

「しかしわたしがここで言いたいのは、答えが必ずひとつであることはないということです。ここが君とわたしの大いに共鳴し合う点だ。罪と罰が同義語である、これは文学好きの中で大いに流行った、大喜利のようなもので、たとえばいまの君と同じ疑問を抱いた人がこんな答えを得ています。その前に、この質問者が、自分にとってのベストアンサーを選んだ後で、こう綴っています。」

『皆様、太宰治について熱い解釈をアンサー下り、誠に有り難う御座います。

どなたも独自の考えを持っておられ、皆様BAにしたい所ですが、『罪』の対義語が『許し』である、と言う一言に、衝撃を受けましてので、BAとさせていただきました。

三浦綾子の『氷点』を連想したのです。
『氷点』のテーマは、『原罪』。
『続氷点』のテーマは、『許し』。

太宰は対義語を『罰』とし、三浦は『許し』としました。

どちらも正解だと思います。』

へえ、気になります。いったいどんな回答を得たのですか。どんなことをみなさん思ったのでしょう。教えてください、先生。

「まずは質問者の質問と、それからベストアンサーには選ばれなかった方の意見を読んでみましょう。質問者は「どの意見も平等に」評価しているということを忘れずに見てみてください。」

回答1

回答2

「そしてこれが質問者がベストアンサーに選んだ答えです。」

回答3

「いかがでしょう。どの答えも、素晴らしいものです。そもそも答えとは、真理とは、必ずひとつではないものなんです。ひとつだけあげるとするならば、感動こそが答えです。感動は、したもの勝ちです。たとえば愚劣なポップミュージックに大感動した少年と、あんなものは軽薄でおそまつでくだらない「ほんとうの音楽」を知っている俺からすればあんなの騙されてるだけだ、という人の違いもあるでしょう。でもわたしが言いたいのは、感動するということはこれは対象がなんであれ感動の量は質は、計れないものなんです。だから答えは各々見つけて育てればよい。答えは一人一人にあるものだ。ただ感動はその人個人個人によって、同じくらいなものだ、というのがわたしの26年生きてきて見つけた本文です。だから君もなにかに怯えて恥を恐れて何もしないよりは、自分の感動したことを顧みて自分を信じたら良いのです。コレクションという言葉がありますが、自分の感性をコレクションすればいいでしょう。誰もが必ず同じ結論に至ることなんか、くだらないことです。あなたの好きな峯田和伸が、解散ライヴのDVDを発売しましたよね。その時の広告のキャッチコピーが『どうか世界がひとつになれませんように。』でした。

あなたはあなたでいいのです。その点においては何も恥じることはない。そんなあなたがわたしは好きです。一生懸命恥じよ。それがわたしのあなたへの診断です。」


そんなこと言っとるが、てめえはぐらかしてんじゃねえぞ。おれのストレスと性欲についてはどした。占い師かてめーわ。殺すぞ。

「(ミツル...!!邪魔!せいいっぱいがんばってちょっと告白してみたのに...!)」


終。























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