校長先生とみんなで給食を食べた思い出、そこに隠れている信念。
もう25年近く前の思い出なのに今でも覚えているのは、当時の校長先生が順番に児童たちを校長室に招待してくれて一緒に給食を食べたこと。
なんでこんなにも記憶に残っているのか考えてみると、校長先生の信念にヒントがありました。
校長先生の主な仕事は管理職として学校を経営していくこと。本来なら児童との関係を構築するのは現場の先生達が担うはずです。
しかし、当時の片岡校長先生はわたし達一緒にご飯を食べることでコミュニケーションを取って色々話を聞かせてほしいとのでした。
「校長先生やから……とかは関係ないです。みんなこの小学校の同じ仲間やからね。」
このことばは今でも覚えています。
子どもだったわたしでも、大人がましてや校長先生がわたしたちに歩み寄ってくれる姿勢は十分つたわりました。
ばあちゃんの教えにもあるように、
「あかちゃんだって、こどもだってちいさいからって馬鹿にしたらあかんねんで。ちゃんと物事わかってるひとりの人間やからな。」
というところと繋がっていると思います。
片岡先生は、管理職の校長先生になった立場でも児童の一人ひとりを尊重してくれていたんだなと思います。
立場がどう、年齢がどう、おとなだから、こどもだから、そんな事関係なく、一緒に給食をたべることを通して一人のにんげんとにんげんとして校長先生と向かい合えたことが嬉しかった。
当時は校長室なんて入ることすら緊張する場所で、ましてや相手はスーツを着た校長先生です。
怒られたりするのかな?
なにを話したらいいのかな?
とドギマギしたことと、給食時間を終えてなんか楽しかったな〜ということくらいしか覚えていません。
でも、片岡先生が児童ひとりひとりを大事に思っていてくれてたことは十分伝わっています。
それだけで十分なことだと思います。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということばにもあるように、立場や年齢におごることなく、どんなひとに対しても敬意を払って接すること。
この事を改めて肝に命じたいと思います。