北欧神話の世界-神々の死と復活-📚読書感想文📚

『そのとき、すべてのものを総べる強き者が、天から裁きの庭におりてくる。』
(エッダ「古代北欧歌謡集 谷口幸男訳 より)

上記はVǫluspá(巫女の予言)の一節であるが、これは私達が「北欧神話」と呼んでいるものが、如何にキリスト教の影響下にあるのかを顕著に示している。

この世の終わり。神々の黄昏。「ラグナロク」。

古き神々の栄光と滅亡、その先の復活と再生、そして「すべてのものを総べる者」の降臨を示唆して、『巫女の予言』は幕を閉じる。
ここでいう「すべてのものを総べる者」とは、すなわちキリストであると一般に解釈される。

ゲルマンの異教は、アブラハムの宗教に飲み込まれ、上書きされてしまったのだろうか。

本書『北欧神話の世界 神々の死と復活』はアクセル・オルリックによる「ラグナロク」にフォーカスした研究である。
北欧神話は、キリスト教思想の影響を大いに受けながらも、決してその思想に塗りつぶされたものではいのだとこの研究は示している。

本書では北欧の詩篇に散らばる神々の滅びについて、比較神話学の視点で分析している。
フィンブルヴェト(大いなる冬)。海に沈む大地。ケモノに呑み込まれる太陽。囚われた怪物の解放と襲来。世界の炎上。
北欧神話における世界滅亡にまつわる要素を取り出してみると、類似した物語を世界各地に多数見つけることができるという。

例えば、フィンブルヴェトは厳しい自然環境に身をおく民族の冬への恐れそのものである。
古代ペルシアの神アフラ・マズダと牧神イマの物語は北欧の大いなる冬の伝承と極めて類似している。
沈む大地についても然り。
デンマークの古くからの予言には、この世の終わりに大地が海に沈むという伝承が多数存在している。古代アイルランド文学にも同様の表象が見られる。
また、縛られた怪物についても多数の類似伝承があり、例えばタタール人に伝わる詩に登場する「縛られた犬」は、それが解放される時世界が滅びるという。その姿は北欧のフェンリルやガルムを彷彿とさせる。
世界の炎上についても然り。
ケルト、ヒンズー、ユダヤ…多数の地域で世界の炎上が語られる。
ただ、世界の炎上について、火山の多いアイスランドを除き、古来の北欧には存在しなかった表象だと著者はいう。これは外部からもたらされた表象かもしれない。

これらの類似神話が示すのは、キリスト教に支配される以前から、異教世界に「この世の終わり」という思想が存在したということである。
ラグナロクの描く世界の終わりとは、決してキリスト教の黙示録の再演ではない。

一方で、ヘイムダルの角笛、囚われたロキ、大いなる者の降臨は極めてキリスト教的であるという。
ヘイムダルの角笛は、『ヨハネの黙示録』の七人の天使のラッパを彷彿とさせる。
囚われたロキにはサタンの姿を見るし、再生した世界に降臨する大いなる者は、言わずもがなキリスト的である。

また、オルリックはラグナロクとケルトの「マグ・トゥレドの戦い」を比較している。
主神オーディンの復讐を遂げるヴィーザルに、バラルを倒した英雄ルグの姿をみる。

本書を読んで私が感じたのは、北欧神話とは異教的要素、異教的英雄神話、キリスト教的要素が複雑に絡み合った芸術だということである。
縛られた怪物は、世界を焼き尽くす炎はどこからやってきたのだろう?
人の文化思想が混ざり合うと共に、神々の物語もまた混ざり合って紡がれてきた。
北欧神話に限らず、神話とは人間の生きた思想と願いの軌跡なのだ。

そうして紡がれた神話が、現代のサブカルチャーにおいて、度々モチーフにされることを、好ましいことだと私は思う。
受け継がれた思想の古き軌跡に、我々現代人の感性が加わる。
かつての詩人たちがその豊かな想像力で、神や英雄の物語を紡いだように。
まるで神話の続きを生きてるようではないか、と感じるのだ。




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