追悼:レイモンド・スマリヤン!
敬愛するレイモンド・スマリヤンが逝去したことを知ったのは、日本時間の2017年2月11日のことである。私は、すぐに思い浮かぶままに「レイモンド・スマリヤン追悼」という記事を書き上げて、Japan Skepticsの「コラム」にアップした。以下に、その記事をご紹介しよう。
レイモンド・スマリヤン追悼
インディアナ大学名誉教授の論理学者レイモンド・スマリヤンが、2017年2月6日に97歳で逝去した。彼は、史上稀にみる天才だった。
イギリスの科学編集者ハンナ・オズボーンが2月10日に配信した記事によれば、スマリヤンの義理の姪アリソン・フレミングが、2月7日に「叔父レイモンド・スマリヤンは、昨日97 歳で死去しました。彼は、華麗なる論理学者(『この本の名は?』の著者)・数学者・音楽家・手品師であり、あらゆる意味で自己の知性に挑戦し続けた人物でした」と公表したという。(Hannah Osborne, “Mathematician and puzzle-maker Raymond Smullyan dead at 97,” International Business Times, Feb. 10, 2017.)
スマリヤンといえば、「哲学者、論理学者、数学者、音楽家、手品師、ユーモア作家、そして多彩なパズル創作家の融合した、唯一無二の人物」(マーティン・ガードナーによる紹介)である。彼の著作は世界各国で翻訳され、日本でも15冊以上が翻訳されている。
世界的ベストセラーとなった『この本の名は?:嘘つきと正直者をめぐる不思議な論理パズル』(川辺治之訳、日本評論社)、パズルからゲーデルの定理へ読者を誘う『スマリヤンの究極の論理パズル:数の不思議からゲーデルの定理へ』(長尾確・長尾加寿恵訳、白揚社)、「80歳以下の子供たち」を対象とした『パズルランドのアリス』(市場泰男訳、早川書房)、推理小説仕立ての『シャーロック・ホームズのチェスミステリー』(野崎昭弘訳、毎日コミュニケーションズ)、一転してタオイズムを説く『タオは笑っている:愉快な公案集』(桜内篤子訳、工作舎)、哲学問題をサイエンス・フィクション的に表現した『哲学ファンタジー』(拙訳、ちくま学芸文庫)など、彼が一般向けに書いた啓蒙作品のタイトルを眺めるだけでも、スマリヤンが「現代のルイス・キャロル」と呼ばれる所以がおわかりいただけると思う。
もちろん、彼の専門書にもさまざまな創意工夫が凝らされていて、『記号論理学』(拙監訳・川辺治之訳、丸善)、『数理論理学』(拙監訳・村上祐子訳、丸善)、『ゲーデルの不完全性定理』(拙訳、丸善)などをご参照いただければ、誰にでも理解できる論理パズルから出発しながら、命題論理と述語論理、完全性定理と不完全性定理への道筋を明快かつ厳密に示すスマリヤンのシンプルかつ独創的な方法論をご理解いただけると思う。
以下、スマリヤンの自伝『天才スマリヤンのパラドックス人生:ゲーデルもピアノもマジックもチェスもジョークも』(拙訳、講談社)から、あまりにも自由奔放に生きた天才の奇想天外な「笑える自伝」のエピソードをご紹介しよう。
そもそもスマリヤンが最初に論理学に興味を抱いたのは、6歳のエイプリル・フールだったという。その日の朝、風邪で休んでいたレイモンドのベッドの側に、10歳年上の兄エミールが来て、次のように言った。
「レイモンド、今日は、エイプリル・フールだ。いくら嘘をついてもいいんだよ。だから、今までになかったくらい騙してあげるからね。」
レイモンドは一日中待っていたが、兄は一向にやって来る気配がない。その夜、いつまでも起きているレイモンドに向かって、「どうして眠らないの?」と母親が尋ねた。
「エミールが僕のことを騙してくれるのを待ってるから……」とレイモンドは答えた。
母親は、すぐにエミールを呼んで言った。「お願いだから、早くレイモンドを騙してあげてちょうだい。」
そこで兄弟は、次のような会話を交わした。
「今までになかったくらい騙されるのを待っているんだよね?」
「うん」
「でも僕は、今日一日、レイモンドを騙さなかった。」
「うん」
「でもレイモンドは、今までになかったくらい騙されると思ってた。」
「うん」
「ほーら。ちゃんと騙してるだろう? 今までになかったくらいにね!」
電燈が消えた後も、レイモンドはずっとベッドの中で考えたそうだ。自分が騙されなかったのであれば、自分の期待通りにならなかったという意味で、自分は騙されたことになる。しかし、自分が騙されたのであれば、逆に自分の期待通りになったという意味で、自分は騙されなかったことになる。結局、自分は騙されたのだろうか? それとも、騙されなかったのだろうか?
さて、スマリヤンは幼児期から音楽に天才的な才能を示し、音楽教育で知られるニューヨークのルーズベルト高校に進学した。彼は、著名な音楽家たちからピアノとバイオリンを学ぶ一方で、数学の授業では演繹的な推論の美しさに魅了され、抽象代数学や集合論を独学で勉強するようになる。
しかし、スマリヤンは、それ以外の高校教育には順応できなかった。彼は、葉巻を吸ったり山高帽を被ってふざけたりした上、先生よりも知識があることをひけらかすのが常だった。結局、彼は何度も放校処分となり、高校を卒業することはなかった。
その後、大学検定試験に合格したスマリヤンは、24歳でウィスコンシン大学に入学、大学1年生でありながら、数学だけは大学院レベルの授業を受講した。
さらに、彼はシカゴ大学に移籍し、ルドルフ・カルナップから哲学を学ぶ。スマリヤンは、ルーズベルト大学のピアノ講師として授業料を捻出していたが、腕の腱鞘炎によって、コンサート・ピアニストになる夢を諦めざるをえなくなる。そこで、今度は得意な手品の才能を活かして、ナイトクラブのテーブル・マジックで授業料を払うようになったが、それでも生計には不十分だった。
「私は、どうにかして収入を補わなければならなかった。そこで私は、セールスマンの仕事に就くことに決めた。私は、掃除機販売会社に応募して、入社面接を受けた。その中に、次のような質問があった。『あなたは、時々小さな嘘をつくことに反対しますか?』
もちろん私は、嘘をつくことには反対だった。とくに私は、セールスマンが商品を誤解させるような嘘をつくことには、大反対だった。しかし、そのときに私が考えたのは、もし正直に反対だと答えたら、仕事は得られないだろうということである。そこで私は嘘をついて、『いいえ』と答えた。
面接が終わって家に帰る途中で、私は次のように考えた。私は、この会社に対して、時々小さな嘘をつくことに反対したのだろうか? 私は『いいえ』と答えた。しかし、この特定の嘘をつくことに対して私は反対していないわけだから、私はすべての嘘に反対しているわけではないことになる。したがって、私が面接で述べた『いいえ』という答えは、嘘ではなく、真実だったのではないか!」
35歳になったスマリヤンは、卓越した数理論理学の論文を書いて学界から注目され、未だ正式に大学を卒業していなかったにもかかわらず、ダートマス大学で数学を教えることになった。
この翌年、シカゴ大学は、彼がダートマス大学で教えた科目に特例として単位を与え(教えることができる以上、もちろんその科目を十分理解しているはずだという理由によって!)、スマリヤンは、36歳で大学卒業資格の学士号を取得した。その後、彼はプリンストン大学大学院に進学、40歳にして数理論理学専攻の博士号を取得した。指導教授は、アロンゾ・チャーチだった。
「何人かの大学院生が、私に尋ねた。『これからは「博士」と呼びましょうか?』私は、これまで一度もこのような称号を生真面目に受け取ったことはない。このときも、直立不動の姿勢を取って、次のように答える誘惑に打ち勝てなかった。『いや。これからは、私のことを「将軍」と呼びたまえ!』」。
スマリヤンは、記憶している限りずっと、女性が大好きだったそうだ。小学校時代のスマリヤンは、何度も校長室に呼ばれた。なぜなら彼は、少女たちにキスして回っていたからである! 当時の彼の親友は、スマリヤンが生まれて最初に発声した単語は「ガール」に違いないと言って、彼をからかったという。
学生時代、スマリヤンが大好きだったいたずらは、誰かとデートするたびに、「僕はまったく君に触らずに、キスすることができる。本当だと思うかい?」と尋ねるものだった。
もちろん相手は「そんなことできるわけがないでしょ」と答える。そこでスマリヤンは、できる方に1ドル賭けると言うのである。そして、彼は相手の女性に目を閉じるよう頼んで、彼女にキスして叫ぶ。「僕の負けだ!」
プリンストン大学大学院で博士号を取得したばかりの40歳のスマリヤンは、魅力的な女性ピアニストと出会った。初めて彼女とデートした日、彼は、あることを発言するので、もし彼の発言が正しければ、彼女にサインしてくれるように頼んだ。彼女には、断る理由がなかった。そこで、彼は言った。「もし僕の発言が間違っていたら、君は僕にサインしない。いいね?」彼女は、この発言にも同意した。そしてスマリヤンは、あることを発言した。この発言によって、彼女はスマリヤンにキスしなければならなくなったのである!
さて、彼は何と発言したのだろうか?
実はスマリヤンは、彼女に次のように言ったのである。「君は、僕にサインもしないしキスもしない。」もしこの発言が真であれば、彼女は最初の約束にしたがって、彼にサインしなければならないが、そうすることによって、この発言は偽になってしまう。つまり矛盾する。よって、この発言は真ではなく、偽でなければならない。つまり、「サインもしないしキスもしない」という発言が偽なのだから、彼女は彼に少なくともどちらか1つは与えなければならない。ところが、もし発言が間違っていたら、彼女はサインしないことにも同意した。したがって、彼女は、スマリヤンにキスしなければならなくなったのである!
ここでスマリヤンは、キスする代わりに、彼女が勝てば帳消しだが、負ければ2倍になる賭けを提案した。彼女は、すぐにキス2回の借りとなり、キス4回の借りとなり、それから2倍、さらに2倍となって、彼女のキスの借りは、膨大にエスカレートし続けた。
自伝を書いた当時83歳のスマリヤンは、次のように述べている。「それで、どうなったかって? 私たちは、結婚したよ! そして私たちの結婚は、43年間続いている。」
1961年、42歳のスマリヤンは、ニューヨーク市立大学教授に就任した。この大学にはスマリヤンとマーティン・デイビスという2人の論理学者がいたが、デイビスの授業を受けていた大学院生は、次のような思い出を語っている。
ある日、デイビス教授が「スマリヤンの定理」を証明しようとしていたところ、廊下から大声でふざけている声が聞こえてきたため、講義の声が聞き取れなくなった。ついに怒ったデイビスは、ドアを開けて「授業中だ! 静かにしなさい!」と怒鳴った。ドアの外に見えたのは、スマリヤン教授が恥じ入って頭を下げている姿だった。そして、デイビス教授は、「スマリヤンの定理」の証明を続けた……。
論理学に関するスマリヤンのジョークには、次のようなものがある。退職してカルチャー・スクールに入学した老人が、何を学ぶべきかとアドバイザーに尋ねた。アドバイザーは答えた。
「何といっても論理学ですな。」
「論理学とは、何ですか?」
「論理学を学ぶことによって、さまざまな事実から特定の事実を推論することができるようになります。たとえば、あなたは芝刈り機を持っていますか?」
「はい」
「そのことから私は、あなたの家には芝生があると結論します。そうですね?」
「はい、私の家には芝生があります。」
「ということは、あなたは家を持っているでしょう?」
「はい、私は家を持っています。」
「そして、あなたは結婚している。」
「はい、私には妻がいます。」
「そして、お子さんも?」
「はい、私には子供たちがいます。」
「そのことから私は、あなたがゲイでない男性だという結論を下します。」
「たしかに私は、ゲイでない男性です。なんてことだ、論理学っていうのは、すごい! 私が芝刈り機を持っているという事実から、あなたは私がゲイでない男性だという事実を導くことができた。これはものすごいことだ!」
この会話の後、彼はホールを歩いてきた友人と出会った。老人は、これから論理学を勉強するつもりだと友人に話した。
「論理学って、何だね?」と友人が尋ねた。
「論理学を学ぶことによって、さまざまな事実から特定の事実を推論することができるんだよ。たとえば、君は芝刈り機を持っていたね?」
友人が答えた。「いいや。」
すると、老人は叫んだ。「わかった。お前はゲイだな!」
1982年、スマリヤンはインディアナ大学へ移り、ダグラス・ホフスタッターと同僚になる。1992年には、同大学を退官し名誉教授となった。その後スマリヤンは、執筆に専念するようになり、97歳の最期を迎えるまで、元気に新作を書き続けた。
彼の作品に共通する特徴は、一言で言うと、堅苦しい「論理」を「ジョーク」で解放して、読者の知的好奇心を存分に刺激してくれる点である。彼は、偏狭なアカデミズムを笑い、見栄っ張りな権威を笑い、頑固に凝り固まった信条を笑う。
スマリヤンの自由奔放な生き方が、どれだけ私を勇気付けてきてくれたことか、筆舌に尽くし難い。残念なことに、諸般の事情により、彼の自伝『天才スマリヤンのパラドックス人生』は絶版となっているが、再版の機会があれば、大いに読者を得ることができると思う。出版関係者各位に、ぜひお願い申し上げたいところである。
機会があれば、読者には、ぜひスマリヤンの作品を楽しんでいただきたいと思う。肉体としてのスマリヤンは滅びても、スマリヤンの精神は永遠に生き続けるに違いない!
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