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青春は独りよがりだった『蹴りたい背中』
綿矢りさの『蹴りたい背中』を読んだ。
2004年に最年少で芥川賞受賞をされて127万部のベストセラーになった作品。今読んでよかった。
高校のクラスが舞台でありながら、恋愛も友情も、汗も涙も楽しい思い出も「あちら側」として描かれる、教室の余り者から見た彼女の世界の話だ。
ハブとかイジメとか、そういうことじゃない。
理科の実験室で適当に5人組作れーと指示されて自然と余ってしまうあの感覚。
休み時間があと5分もある、興味ないけど教科書読もうかな、トイレに籠もろうかな、そうだお弁当どこで食べようかな、とかさ。
こういう人って別に勉強が好きなわけじゃないんですよね。休み時間の教科書ペラペラは読んでるという体裁が欲しいだけで、実際頭の中は自分自身の勉強のことじゃなくて、自分を取り巻く教室のパワーバランスのことでいっぱいだから。そんなことしてるうちに、バカ笑いしてたやつらはいつの間にか自分の進路を直視して勉強を始めたりするんですが。
ずっと自分じゃない他人の人生をちらちら見ているうちに傍観者になる。批評家になる。果ては自分を棚上げして世界全体を見下す。
さて、パッと見は同じ「余り者」でも自分自身の(傍からみたら気色悪い)事柄について関心がある者というのもいる。
教室でわいわいしている「あちら側」は、余り者のことを一緒くたに見做すが、そんなの勘弁してくれよ。私とアイツは全然別物です。
全然別物ですと見下してみるんだけど、そういう独自世界を持つアイツって、私が軽蔑している「あちら側」でもなければ、私とも違う。
これじゃあまるで私が一番情けないみたいじゃないか。
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こういうことを、青春の主題として打ち出す著者には打ちのめされた。
高校生のころ課題図書になっていた記憶があるが、
10代で読んでたら発狂してただろう。
すべて過去の教室のことと思うまで遠くに来たからやっと落ち着いて読むことができた。
これまで本書を手に取ってこなかったのはたまたまだが、この運の良さに感謝したい。
人にしてほしいことばっかりなんだ。人にやってあげたいことなんか、何一つ思い浮かばないくせに。
どこにも所属したくなくて、
「あちら側」と壁を作って、
「あちら側」とは全然違う自分を認めてほしくて、
人を下げてようやく自分を上げるような、
あまりにも青い感覚を捨てられた時、
人はようやく大人になったと言えるのだろう。
人にやってあげたいことを少し思い浮かべてみて、10代の頃よりは確かに大人になっているなと確認した。大人こそぜひ、読んでみて!