吸える喫茶店と「最後の喫煙者」
吸える喫茶店は信頼できる。
まず間違いなくコーヒーがうまいのだ。
頑なに禁煙の流れに乗らない店主と、それを支持する昔ながらの客たちよって作られる閉鎖的な雰囲気も大変良い。
独特の風合いがこびりついた壁の色も良いし、
時たま流行りの「レトロ喫茶でエモい写真撮影」がしたい10代の女の子たちが入店してきても、
グリッターをのせてきらきらにした瞳と店内の陰鬱な空気がマッチせず彼女らが撮影と飲食を済ませたらそそくさと帰ってしまうのも良い。
とにかく私にとって吸える喫茶店はワンダーランドなのだ。
紙屋町の「ツバイG線」もその一つ。
1967年創業で広島市内で随一の歴史がある。
ぶ厚めのコーヒーカップとサイフォンコーヒーが特徴だ。
しかし私自身は喫煙者ではない。
スキンケア化粧品と健康食のために日々遣っているお金を無効化するわけにはいかないので、こればかりは仕方ない。
ファッションで吸う程度ならば美容意識が勝つといったところだ。
さて、今週は筒井康隆の『最後の喫煙者』という短編集を読んだ。
なんて不快な本だ!
話は面白いのに筒井康隆の文章が気に食わない。
作者は女性のことを同じ人間だと思っているのか?
男性が男性の社会で努力して手に入れた富や名声、仲間、うまい食事、安らぎ、喫煙の一時、それに女性の肉体といった風に
女性のことを自己実現のラインナップの一つとして扱っているように感じられた。
そして自己実現がうまくいかないときの自己憐憫の描写が魅力的なのだが、あくまで男性が登場するばかりである。
なんていうか、本から「脂臭いオッサンのにおい」を感じたのだ。
作者と同じ地点に立って一緒に読書する感覚になれなくてちっとも楽しくなかった。
さて、私が好んで通っている「吸える喫茶店」はおじさんが主な客層だ。
彼らはいったいどんな気持ちで煙草を吸っているのだろうか?
そんな彼らのことも理解せずに、私は煙草ではなく煙草が吸える閉鎖的な環境のみについてワンダーランドだと言っているのだった。