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カニ 食べ 行こう
車で 駆けてこ キャラメル 気分で
蟹ドライブをご存じか。
蟹ドライブ。その名の通り、車で蟹を食べに北陸へ向かうことである。『カニドラ』の略称でも親しまれ、年中行事のひとつにも数えられている。
そう親しんでいるのは恐らく我々学科同期だけであるし、年中行事としているのも恐らく我々だけである。
12月7日(土)。
今回の旅行のパーティーは4人が社会人、4人が大学院生である。社会人のうち2名は関西から出ているため現地集合とし、残りの6名は百万遍交差点で落ち合い福井県の日本海さかな街へと向かった。12月の北陸は時おり雹がぱらついていて、我々は身を縮めながら車を降りた。
市場には朝の山手線車内くらいぎゅうぎゅうに蟹が並んでいる。我々は市場を一周し、結局最初に目をつけたお店に舞い戻る。
お店のお姉さんがおまけにおまけを重ねてくれて、まるまる一杯の蟹と、尋常じゃない量の蟹の脚と、これまた尋常じゃない量のエビと、まあまあな量のイクラと、あと中トロのブロックが購入できた。果たしてどこからがどこまでがおまけなのか。これは究極の命題である。よくわからないが、よくわからないなりにお姉さんに感謝を伝え市場を後にする。
その後は残りの2名が合流し、寄り道をしつつ宿に到着した。今回泊まるのは石川県加賀市内にあるエアビーの一軒家。何がかはわからんが本当に大丈夫かこれと思うほど広くて綺麗な古民家である。今回の旅は全体的によくわからんけど質が良い。
風呂あがりの我々は適宜はしゃぎながら夕飯の準備をした。
食卓に蟹しゃぶ、蟹鍋、エビ、イクラ、中トロ、ブリ、缶ビールと日本酒と焼酎と各種酒のアテが次々に並べられ、机上は徐々に赤く染まっていった。冬の北陸に桜前線の到来である。
いざ実食。言うまでもなく何もかもが美味すぎる。美味いし、美味いとか以前にとにかく楽しかった。何が面白かったのか何も覚えていないくらいどうでも良い話ばかりたくさんしたが、とにかく楽しかった。
日頃嬉しいことや悲しいことについて不必要なまで仔細に考えすぎるきらいがある私にとって、脳が『たのしい』だけで満たされる状態は心地が良かった。それは幸福な思考停止であった。
途中人生について少しだけ真面目に話したり、肉や魚を七輪で焼いてうめえうめえとかき込んだり、『仕事やめたい』『お前には翼があるか』『ある』『人を好きになる瞬間について語り合おう』『隣の席の女子の消しゴムを拾っただけで好きになってしまいます』『せめて拾われて好きになれよ』『ぴよぴよ』等のたいへん実のある会話をしたりして気づけば午前4時であった。手分けして片付けを終わらせ、寝るかと思いきやそこからボードゲームに興じて気づけば午前5時であった。大学生に戻ったみたいで嬉しかった。
社会人勢は時おり次の月曜のことを口にしては、『考えたくない』『月曜なんて存在しない』と呻いていた。
居場所があるということは役割があるということだと思っていた。
職場で私に居場所があるのは仕事をしているからで、実家で私が求められるのは私が良い娘であり良い孫であるからだと思っていた。
しかしカニドラでは必ずしもそうではなかった。
黙って蟹を食べていても、好きなときに好きなことを言っても許される場所があった。誰が誰に話しかけても良かった。
帰路、『自分は車の運転もできないし、優柔不断で旅の行先も決められないし、旅行で役に立てることが少なくて困る』と言った私に、同期はハンドルを握りながら『役割なんて考えなくていいんよ』と言った。
至極シンプルで真っ当な答えだった。
12月9日(月)。
いつも通り出勤した。退勤した。寄り道せずに家に帰った。先週まで鬱屈としていた我が人生の色味が一変しているのを感じた。薔薇色である。薔薇色というか蟹色である。それは違うか?なんにせよカニドラは我が人生に革命的な影響を及ぼした。クソデカ思い出である。死ぬ前に思い出す。走馬灯の菊花賞があるとすれば今回の旅行はかなりの人気馬なのである。本命馬である。バレンタインチョコにアラザン散らしてチョコペンでハート描いちゃうくらい大本命なのである。ただし、齢23の走馬灯菊花賞は日本人の平均寿命に照らすとまだ第1コーナーを過ぎたばかりのところだが。
とにかくカニドラを経てからというもの、私の仕事は俄然はかどった。一人暮らしの家に帰るのも苦痛じゃなくなった。先週までは私の神経を不愉快に刺していた駅前のイルミネーションもクリスマスソングも立ち止まって楽しむ心の余裕ができた。
職場で休憩に立つ度にLINEグループ『🦀』の写真を眺めた。カニドラの思い出を噛み締め続ければ私はどこまでも行けるような気がした。
私はまだカニドラの中にいる。すべての道はカニドラに通ずる。人生はカニドラに内包されているのである。今後はカニドラを私暦の正月とし、カニドラを生涯の季語としよう。そう決めて眠りにつく。起きる。働く。帰る。それだけで生きていける。
理由もないのに輝く それだけが愛のしるし