この春大学を卒業し、京都を離れる身である。 そういえば京都についてまっすぐ書いたことがないなと思ったので、書く。 京都が好きだ。 たぶん森見登美彦の小説の影響が大きい。夜は短し歩けよ乙女とか、四畳半神話大系とか、まあそういう作品に触発されて京都にやって来た大学生は少なくないだろう。私もそういうありきたりな学生の1人なのだ。 京都のいいところは、過去と現在、自然と文化、みたいな相反する概念が共存できているところだと思う。歴史ある建造物と現代的な建物が層をなして干渉も離別もし
朝マック。 たいへん優雅な響きである。 実家は外食の少ない家だった。 これには実家の教育方針もあるが、地元が完全なる車社会だったがゆえの中高生の行動範囲の狭さも影響している。 時折昼食にモスバーガー(比較的近所にあったため)をテイクアウトすることはあったが、サイゼリヤやケンタッキー等の有名チェーン店には、大学生になるまでほとんど行った経験がなかった。 ところが、一人暮らしを始め、私のチェーン店ライフは華々しく幕を開けたのである。 百万遍交差点はジャンクフードの玉手箱
よく知らない人にご飯に誘われて2時間ほど無難にやり過ごした帰りの駅で、浴衣の女の子を見た。ひらひらかつきらきらした紫色の帯がきれいだった。 調べてみると、ここから電車で40分くらいの場所で地元の祭が開催されているらしい。へぇ、とだけ思う。3週間にわたる研修中、関東でホテル暮らしの私にとって、知らない土地の知らない祭は2段階で他人事なのである。 その後も、ぴかぴか光る棒を持った小学生男子の軍団とすれ違った。夏祭りに行きたいなと思った。行きたい相手は特段いなかった。 一緒に行き
課長の机は汚い。 課長の机を見て、隣の課の係長は『コックピットみたいだ』と形容した。机上の両サイドに書類がうず高く積まれており、デスクトップにもたくさんの付箋が貼られているような複雑な構造についてそういうふうに形容したのだと推察される。そんなかっこいいものではないと思うが。 課長が不在のとき、課長の机に資料を探しに来た総務課の人がいた。彼女が机上の資料に手を伸ばしかけた瞬間、先輩が『触らないで!』と叫び声をあげた。鬼気迫る声色であった。なにしろこの机は素人が触ると大災害に
私が人生で出会った中で最も頭が良いと思う人間は、地元の塾のドS数学教師である。 ドS数学教師には高校時代にお世話になった。東京で大手予備校講師として華々しくデビューしたのちに地元に舞い戻り、私の通っていた塾で数年間講師をしていた人だ。現在は起業し新たな道を進もうとしているらしい。博識で話し方が知的でおまけにコミュ力も高い、身近にいる懐もスケールもビッグな人間代表である。私も先生のようなビッグな人間になりたいものなのである。 前回会ったのは3年半ほど前、大学1年の夏に合格報
銃撃戦の夢と、デカいエレベーターに乗る夢と、知らんコインランドリーの中を走り回る夢をよく見ます。 人生に刺激を求めているのだろうか。 大学の授業で夢分析について学んだことがある。その講義のレポートで、最近見た夢を記録して深層心理を考察する、というものがあった。それをきっかけに今でも夢日記をつけるのが習慣になっている。朝起きてスマホのメモを開き、覚えている範囲で文字に書き起こすのだ。 前述の講義を受けてからもう約3年経つので、夢日記もそこそこの量が貯まってきた。せっかくな
高校の部活同期と、当時の顧問を交えて飲もうという話になった。参加者はいつもの如く、私・友人A(22歳女・容姿端麗)・友人B(22歳男・挙動不審)である。 元顧問はもう我々の母校を離任し、今年度から遠くの高校で教頭先生をやっている。 私が『お忙しい中来てくださってありがとうございます』と言うと先生は『今の職場は××高校(我々の母校)ほどブラックではないので全然大丈夫ですよ』と冗談とも本気ともいえないような表情で仰ってきた。 注文を済ませ、美味い飯とともに思い出話に花を咲かせ
風邪。デカ風邪を引いた。 ここ数日自宅療養をしていたが、地元の海岸くらいざらつく喉・日本海のごとく荒れ狂う鼻水・ただでさえ人生はダルいというのにそんな通常時の人生と比較しても実に8割増しの倦怠感・逆に34℃を叩き出す体温計・関係ないけど普通に汚い部屋・・・等の種々の症状を前に、かよわくうら若き乙女こと私はひれ伏す他に術がなかったという。 風邪のときは水分補給が肝要である。 田中みな実は美容のために1日2Lの水を飲むらしいが、私は健康を取り戻すため1日3Lは水を飲んでいた自
広島に1泊2日で旅行に出かけた。中高の同級生、私を含めて3人。部活同期として共に笑い、共に泣き、締切前は共に廊下を駆けずり回った仲である。 我々は朝に広島駅で合流した。 久々に会った友人A(22歳女・容姿端麗)は相変わらずのおしゃれさんで、友人B(22歳男・挙動不審)は高校時代からは飛躍的な進化を遂げていた。これは想像もしていなかった事態。私はこんなBなど知らぬ。Bはクタクタのパーカーに脚が長いせいで妙に半端な丈になってしまっている細身ジーンズにどこの何の試練をくぐり抜け
五山送り火。 京都の夏の風物詩である。お盆に帰ってきたご先祖様の霊を見送るための火だとされているらしい。 だが、そんな由来の話は正直なところ二の次なのである。大学進学を機に京都に越してきた身としては、送り火はありったけの京都感を味わうための一大イベントという認識にすぎないのだ。 凡庸な大学生とはそういうミーハー心を主成分にしている生物なのである。 目の前を華奢な黒髪女性が彼氏とおぼしき男性に手を引かれ通りすぎていった。 大学の付属農場前道路である。15分程前まではほと
食事のこと、生命維持活動としてしか見ていない。 『今日は晩ご飯にこれを作る!』とか『旅行に行ってこの地方のこの料理を食べてみたい!』とか、そういう食を楽しむ欲求が全然ない。 美味しいものを食べて何も感じないわけではない。人とご飯に行くのは楽しいし、大抵のものを美味しいと思う。ただ、一流シェフが作った最高の料理を口にするときも、家で冷凍ご飯をチンして食べるときも、殆ど同じテンションなのである。人間として何かが欠けているのではないかと心配になる。 一方で私がただ『違いがわからな
森見登美彦が好きだ。 私と森見(以降おこがましいが敬称略)との出会いは9年前にさかのぼる。中学入学前の春休み、何の気なしに手に取ったその本こそが、のちに我が人生を大きく変える森見の著書との出会いであった。 その本(ちなみに『ペンギン・ハイウェイ』)が大好きになった私は中学の図書館で森見の本を読み漁り始め、すぐに大ファンになった。 森見は京大在学中に執筆した作品でデビューを果たしている。作品内には京大の学生や京都の町並みが度々登場する。私はその描写に触れるごとに京都という町
雪が好きだ。多分、全世界の人間で上位20%に入るくらいには好きだ。 新垣結衣は『降る雪が全部メルティー・キッスならいい』と述べているがその論理はひどく誤謬をはらんでいる。降る雪は降る雪だからいいのだ。他の何にも代替されようのない素晴らしい気象現象なのである。そもそもメルティーキッス『なら』ってなんだ。新垣雪嫌いなんか。雪いいだろ。百歩譲って『降る雪は雪ですごくいいし、降る雪とは別にメルティー・キッスが降ってきたらそれはそれでいいかもしれない』って言え。 雪のことはずっと好
1.はじめに 当該飲み会はある授業内で偶然組まれた実験班に私が勝手に愛着を持ちすぎるがあまり開催を決定したものである。 2.背景 前期の授業。名前の順で決まっただけの4人の実験班。砂に電気を通したり土を捏ねくり回したりしているうちになんとなく仲良くなり今に至る。 仲良くなり、と記述したが、正直仲が良いと言えるほどの自信はない。集まると楽しいけれどいつも何だかぎこちない。なにせ班員全員内向的(控えめで奥ゆかしく聞き上手ともいう)ゆえ話を回す人がいないのだ。実験の時も全員が何の
私のアルバイト先はケーキ屋である。稀に試作品や期限の近いケーキを貰って帰ることがあり、そういうときは大抵誰かにお裾分けをする。 先日ケーキを渡した相手は『申し訳ないから』と言って事あるごとに何か返してくれようとする人だった。 ある日、お昼ご飯を食べていると彼が突然『お腹空いてる?』と声をかけてきた。 私は『今飯食ってんだから当たり前だろ』と考えうる限りで最も心象の悪い返答をした。好きな子には不器用になってしまう中学男子のアレである。ただ今回の場合そういうわけでもないので実際
11月下旬に行われる我が大学の学園祭。私のクラスは特段騒がしい人間がいるわけでもないのに何故だかすこぶる仲が良く、誰かが『クラスで模擬店やろう』と言うと、とんとん拍子に出店が決まった。 売るのは秋の味覚石焼き芋。日に日に寒さを増すこの頃の気候にピッタリのナイスアイデアである。 迎えた初日。宣伝担当の私はとりあえず看板を掲げて吉田南グラウンドをウロウロし周囲の店を偵察した。 グラウンドには様々なコスチュームを身にまとったミニスカ女子達がいた。普段構内にそのようなきらめきガー