15歳でうつ病になってから現在まで
2003年生まれ、今年21歳になります。
高校入学とほぼ同時期にうつ病になりました。
心療内科では、1年に1人か2人しか現れないレベルで
重症のうつ病だと診断されました。
そこから5年半程、つい最近までほとんど毎日、毎秒
死にたいと考えていました。最近は死にたいと思う
日もかなり減りました。
浮き沈みはもちろんあるものの、振れ幅が小さく
なったように感じます。
だいぶん回復してきました。
冒頭に書いたように、私の精神が限界を迎えたのは高校入学とほとんど同時です。
それまで成績はよかったので母親にはかなりの期待をかけられていました。期待通り高校には特待生で入学しましたが、3日しか登校せずに脅威のスピード
で退学しました。合格したときに喜ばせた分、母は
相当落ち込んだようで、母もうつ病になりました。
今回、母のうつ病の詳細については割愛します。
私は高校に特に未練はありませんでしたが、
成績がよかった頃の自分には未練があるのだと、
最近気がつきました。自尊心はないのにプライドは
人並み以上にあるという厄介な状態です。
いわゆる『過去の栄光』に私は縋っているのだ、ということを最近ようやく認めることができました。
どうやって折り合いをつけていくのかは、これからゆっくり考えます。
高校を辞めたあとは、通信制高校に入りました。
流石に高卒資格だけはほしいと思って、通信制高校
の中でも、なるべくスクリーング(対面授業)の
少ない高校を選びました。
しかしそこでも1年留年しています。対面で行われる
テストのある期間にうつ病が悪化し、テストを受けに行かなかったからです。
たった1日のテストですが、その時の私には無理な話
でした。
今は夜勤のバイト(半日以上の勤務だが、仮眠を
5時間ほど取れる)をしていて、ようやく家に生活費
をおさめられるようになりました。
ギリギリ、フリーターと名乗らせてほしいです。
このバイトは、うつ病がかなり回復してきてから
始めました。それに加え自分に合う業務内容で
あったこと、他の職員の方がいい人だったことで、奇跡的に続けることができています。
こんなに無理なくバイトを続けられているのは、
初めてです。
今まで、バイトでは何度も失敗してきました。
バイトに関しては機会があれば、また別に書きたい
です。
実家暮らしです。生活費を稼げない間も家に置いていてくれた両親には感謝しています。
母も父も私がうつ病になるまでは毒親気味でした。
教育ママでヒステリックだった母は、母自身の
うつ病が治ってから考え方が一変したようで、
人が変わったように寛容な人になりました。
今では仲良くしています。
父は、私がうつ病になった原因の6割を締めます。
父が与えてくる苦痛はなんとも表現し難いです。
実際に1週間一緒に暮らしてみれば分かります。
暴力を振るったりはしませんが、一緒にいると確実
に頭がおかしくなります。
私がうつ病になってからは、以前ほどは精神攻撃を
仕掛けてくる回数は減りましたが、気を抜くとまた
鬱に逆戻りさせてくるので注意が必要です。
親に関して、愚痴っぽいことを書きましたが、
安めの生活費で家に住まわせてくれるし、心療内科にも連れて行ってくれました。
私の心に今でも残る傷跡をいくつか残したのも
親でしたが、結局私は親に頼っているし、親も私の
ことをそれなりに助けてくれています。
そう考えると、なんとも言えない感情になります。
親に対しての気持ちは、簡単にはまとまらないので
この辺りで辞めておきます。
来年の4月からは、通信制大学に入る予定です。
普通の大学はまだ難しくても、通信制大学で学べる
くらいには回復してきたと感じています。
通信制大学で学ぶのは結構楽しみです。
将来への不安は当然大きいですが、今は楽しみが
勝っています。こんな気持ちになれる日が来るとは
5年半、一度も想像していませんでした。
これまでの私は不安だけを見ていました。
プラスの感情には目もくれず、マイナスな感情
ばかりを見て、自分は現実をみているのだとある種
安心していたのだと思います。
プラスの感情に目を向けることは悪いことじゃない
んだと考えられるようになって楽になりました。
こうして考えると、
これまで大嫌いだった自分のことが、今では
それなりに気に入っています。
とはいえ、まだ回復途中です。一般的な人のように
一日中元気に活動することはできないし、約10種類ある薬を毎日飲まないと調子が悪くなります。
ここで焦らず、無理せず、自分のペースを崩さずに
日々をすごしていこうと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
とりとめのない文章になってしまいました。
申し訳ありません。
本当に私の個人的な話でしたが、
暇つぶしにでもなったという人が1人でもいたなら、
嬉しいです。