本音を言ったときの罪悪感ってどこからくるの?
よく仕事をくれるプロデューサーに製作費に関しての本音を伝えた。本音を言っているだけなのになんなんだろうこの罪悪感。罪悪感くんよ、どこからきたのかい?
本音を言ったら相手が困って仕事がもらえなくなると思っている?
→フリーランスですもの、そんな漠然とした不安もなきにしもあらずだけど、当該プロデューサーはそんな心の狭い人じゃない。今までだって意見を戦わせてきたこともあった。私だって自分勝手な本音を言ったんじゃなくて、管理上困ってしまうことをズバリ言ったまでだ。そのことは彼もわかっているはず。
意見にちょっと感情が乗ってしまったから?
→うん、あるかも。プロデューサーのちょっとルーズなところが以前から気になっていて、今回ちょっぴり普段のうっぷんもあいまっちゃった感は否めない。話題に出したわけじゃないけれど、ちょっと感情は乗ったかもな。でも感情的になってしまうことがあったっていいじゃない、相手は部下じゃないプロデューサーなんだし。
ただただいい顔しいだから?
→あるある、これもありそう。空気を読むことが骨の髄まで身に染みている私っていう人間の性的な話ですよ。相手が「うっ」となることをできるだけ言いたくないと言う平和ボケ思考。もちろん言わなきゃいけないことは言いますよ、事勿れ主義じゃないんだけど、できるだけまろやかに言いたいのよ。でも、自分のこういうところ好きじゃないし、相手が「うっ」となったって、自分の意見を言えるようになりたいって思っていたじゃない。
ここまで考えたら罪悪感は消えていた。
悩むようなことではない。謝るようなことでもない。
私は完璧とはほど遠い状態ではありながらこだわりを持って生活していて、それを伝えられたんだからよかった。相手がどう思うかは私の知る由ではないけれど、相手にも立場と事情があるってことだけは肝に銘じておこうと思う。
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