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#21 銀河の犬と水玉~曼珠沙華の伝言~


第十二章 虹の橋クラブ

ジュビ子通信

 仕事の出来るジュビ子は、アフターフォローも忘れてはいなかった。
 これでもか!という数のメッセージを送り続けてくれていた。
 当面は私を励ます為に。
 ジュビ子の食器を片付けていた時のこと。
 いつも少しだけ最後に残しておくんだよなぁ~。
 ジュビ子も人間だと思って真似していたのかなぁ~。
 とクスッと笑った時にリンクしたのだ。
 火葬の時に、どうしておやつが一粒燃えずに残っていたのか。
 ジュビ子の「食べましたよ」のメッセージだったんだ。
   普通に考えて火葬して馬肉のおやつが残るはずがない。
   何故、あの時、気づかなかったのだろう。
   間に合ったんだね。食べられたんだね。それを知らせてくれたんだね。

 死亡届を出しに出張所へ行き、犬鑑札と注射済票を返却し、帰り道で黒いワンコがお散歩してる姿を見かける。
 この道はジュビ子のお散歩コースで、何年も一緒に歩いたのに、もうふたりで歩く事は無いんだなぁ…
 あのワンコも、いつか飼い主さんと別れる日がくるんだなぁ。
 どうかその時まで幸せに。最高の犬生を過ごしてね。
 ただの散歩のシーンを見ても、そんな風に込み上げてきて大変だった。

 家のあちこちに、ジュビ子が座っていたりコッチを見ていたりお昼寝していたり、残像の嵐で、本当にまだそこにいる気がするのに、それは同じく「もう居ないんだ」と決定づける映像でもあった。

 私が横になってる時も、すりガラスに白い影が映ったら、ジュビ子がお家に入りたくて待ってる合図なので、急いで開けてあげなくちゃ。
 そう気にして、いつも脇腹が痛くなる変な姿勢ですりガラスを見ていた。
 もう、見なくていいんだ。
 何も気にせず、ゆっくり寝てていいんだ。
 ジュビ子がいるから一階へ降りてきてたけど、ずっと部屋にいてもいいんだ。
 ご飯の準備もしなくていいんだ。
 注射ももう打つことはないんだ。
 お散歩も行かないんだ。
 雨が降っても雷がなっても、怖がってるから傍に居なきゃ。ってトイレも行けずに動けないでいなくていいんだ。

 ……それは、なんて淋しい毎日なのだろう。
 起きてきても、おはようと言えないんだ。
 寝る時も、おやすみと言えないんだ。
 また明日ね。の約束が、出来ないんだ。
 これからは部屋にも服にも車にも、あちこちについてるジュビ子の白い毛がどんどん無くなっていって、もう見る事もなくなるんだ。
 ネットを見る度に入ってくるドッグフードの広告をチェックする事もなくなるんだ。
 スマホのカメラロールがジュビ子だらけになる事もなくなるんだ。
 後頭部のあの匂いを、もうクンクンする事は出来ないんだ。
 おやつのガムをくれなきゃ寝ないからな!と言う脅迫もされる事はないんだ。
 探しても、探しても、どこにも居ないんだ。

 私の身体は限界となっていて、毎日毎日ひたすら寝た。
 深く沈むように何日も寝た。
 無理をした身体が少しずつ癒されて来た頃。
 毎日のお線香をあげる日課と、初七日、ふた七日~四十九日まで、至る所にジュビ子の影を見た。
 そして私は「本当にもう触れないんだ」と、気づいた時に自分でも驚く程の「ジブリ泣き」をしていた。
 顔ってこんなにぐしゃぐしゃになるんだな。
 良い大人がこんなにわんわん泣けるものなんだな。
 そう冷静に見てる自分も心の中にいた。
 その時、もう掃除と洗濯を重ねて、服にも部屋にもジュビ子の毛が残っていないにも関わらず、犬生で2回しか私の部屋に来た事もないのに、ジュビ子の毛が私の視界に入るように一本現れた。
 ほんの一本の白い毛が、心の底から愛しさを引き上げた。

 ジュビ子!ジュビ子‼

 その一本の白い毛を握りしめて、ジブリ泣きは更に大きくなっていった。

青い空

 9月下旬からの空はとても澄んだブルーだった。
 火葬の煙が高く上がって行ったあの空も。
 2度目のお見送りをした四十九日のあの空も。
 真っ青な空だった。
 四十九日には、早く流れる風に乗って、白いハートの雲が通り過ぎて行った。
 また、ジュビ子が一生懸命私にメッセージを送ってくれている。
 ジブリ泣きしたから、心配してるかな。
 魂になった存在が、物質を動かすのはとても大変な事だと聞く。
 一本の毛を運ぶのも、とても大変な作業に違いない。
 ジュビ子を心配させてはならない。
 それじゃまるで、ジュビ子との毎日を後悔してるみたいじゃないか。
 ジュビ子との出会いは幸せしかなかった。
 なかった?今はもう過去形なのか?
 そんな事はない。
 ジュビ子が残してくれた愛はとても大きくて消えたりしない。
 ジュビ子の肉体がなくなっても、ハートは消えない。
 そんな事を思いながらジュビ子と歩いた散歩道を1人で辿って、空を見上げたら、ジュビ子の横顔の雲が流れてきた。
 とても楽しそうに走ってる姿だった。
 もう、痛くないからね。元気に走っているのね。
 その雲を見た時に、自分がいかに大切なものを手放したのか思い知った。
 ジュビ子が居ないから、もう県外の病院へ行くにもライブに行くにも泊まってゆっくり行ける。
 これからはずっと安静に寝て身体を休める事が出来る。
 それから…やりたかった事、今までやれなかった事は…
 そう考える度に、そんな「やりたかった事リスト」のどれを取っても、ジュビ子と一緒にいる事以上に大切な事なんて何ひとつ無かった。
 ジュビ子との時間より欲しい願いなんて、何ひとつ無かった。
 1番の願いはジュビ子と一緒に居られることだった。
 そんな大切な時間を私はもう失ってしまった。
 そう思った時に、今までの私は全てを持っていた事に気づいた。
 ジュビ子と一緒にいる事に比べたら、他の全ては大した事ではない。
 であるならば、私は最強の全ての豊かさをずっと持っていた。
 病気になって、生き甲斐のライブも行けず、色々失って、何も残らないと思っていたのに、私は全てを持っていた。
 ジュビ子さえいてくれたなら、私の願いは全て叶っていた。
 なんだ、こんな病気だって、ジュビ子を失う事に比べたら全然何ともないじゃない。
 大した事ないじゃない。
 ただの病気じゃないか。
 私は頭ではなく、初めて心の底から病気を受け入れることが出来た。
 それが、ジュビ子が最期にくれたメッセージ。
 いや、最期にしなくていいんだ。
 ジュビ子のくれたものが愛ならば、それは永遠であり終わることがないはずなんだ。
 これからも、ジュビ子と生きていけばいいんだ。
 ジュビ子がくれたものを、全部、受け取ったなら、それは幸せしかなかった今までと同じで、これからも受け取って行く未来があるだけだ。
 そうする事が、1番、ジュビ子といた時間を忘れない、消さない、無駄にしない事だとジュビ子の横顔の雲が言ってる気がした。

贈り物

 ジュビ子が肉体を脱いでから、ジュビ子へとお線香やお花を頂いた。
 その中で、フラワーアレンジメントをしている中学からの親友に「赤い花で」とリクエストし、参考にジュビ子の写真を何枚か送っていた。
 出来上がった作品に使われていたのはバラとジニア。


 ジニアは何となく浮かんできたのだと後から聞いた。
 ジニア(百日草)の花言葉は「不在の友を思う」今は会えない友への想いを表すそうです。と書かれていた。
 彼女もそれを知らずに選び、花言葉を調べて納得した、との事だった。
 ここにもジュビ子からの連絡網が…
 あの手この手でメッセージをくれる。
 信じる、信じないとかのレベルでは無い。
 完全に、無視できないレベルの通信手段を使ってくる。
 号泣だよ。
 ジュビ子の愛は何処までも深いのだね。

悲しさと淋しさ

 ジュビ子のカッコイイ骨を遺骨ペンダントに入れて、都内の病院へ通院する時にも、裁判の時にも一緒に連れて行った。
 悲しさは消えたものの、時々、モフモフに触れない淋しさを感じて「ジュビ子…触りたいなぁ」と言うと、またどこからとも無く白い毛が一本現れる。
 近くに居てくれる。一緒にいる。
 そう思えて嬉しくなった。
 写真を見ては、「今日もかわいいね」と挨拶をしていた。
 けれど、百箇日が過ぎる頃、白い毛は現れなくなった。
 いよいよ、虹の橋へ行ってしまったのか。
 ジニアの花も百日草だったね。
 ジュビ子はそういう所、キッチリした性格なんだろうか。
 注射も百日頑張ったものね。
 百がひとつの区切りにしてるのかな。
 そんな百日を過ぎて、
 もう白い毛は現れない。
 何とかしてジュビ子を感じたい。
 どうすればいいのか…
 こうなったらアニマルコミュニケーションのテレパシーらしきものを私が身につけるしかない!
 それは、二十代の頃、どうしても行きたいライブに行けなかった時にサイキックの本を買い、なんとか幽体離脱を成功させ、生き霊を飛ばしてでも行けないものかと本気で勉強した時の想いに似ていた。
 人はそんなに変われないものである。
 私は四十を超えて尚、同じ事を考えていた。
 そして実行しようとしていた。

体力の回復と悪化

   裁判の初公判の時には、意見陳述を読み上げた後、意識が低迷し、車椅子から降りて床に倒れこみ、トラムセットを飲んで回復に30分程要する位に悪化していた。
 ME/CFSでは、一般の血液検査には項目に含まれていない為に検査結果が異常なしとされてしまうが、コルチゾールとACTHが基準値を下回る症状も多くみられている。
 私も2019年6月の検査では大幅に低迷していて、主治医の表現では「癌患者と同じ数値」という所まで下がっていた。
 身体が重い、しんどい。と言っても想像は難しいだろうが、「重症患者のQOLは癌患者の亡くなる二週間前のQOLと同等」とも言われている。
 だからこそ、想像など出来ないのだろう。
 癌になって亡くなる二週間前の体感を感じることは健常者には無いことだから。
 その苦しみを、見た目で理解して貰えずに放置されているのがME/CFSの患者たちである。
 ジュビ子の命日があと何ヶ月か延びていたら、その前に私が再起不能となっていたかもしれない。
 この体じゃなければ、ジュビ子をもっと快適に過ごさせてあげられたのだろうか?
 その後悔は消せることは無く、前向きに笑顔で生きようと決めても、いつもチラついている影だった。
 ジュビ子を看取ってから、身体を休ませるだけ休める事が出来たので、呼吸のしんどさや起き上がる限界は改善されても、無理して行ってた5分~10分程度のお散歩も、全く行かなくなった為に、急激に筋肉は落ちて関節の痛みも増した。
 今まではジュビ子のお散歩と、お世話の時間のために無理してでも動いていたので、寝たきりになる筋肉をまだ支えてくれていたのだった。
 少しは歩かないと…週に一度はジュビ子のお散歩コースを歩いたりするようになったが、1人で歩くとこんなに長くて辛いものかと初めて知った。コロナ禍となり、出歩くことも、東京の病院の通院もなくなり、裁判も電話となったので、引きこもりが過ぎて一気に弱くなっていった。


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