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二章 私事と公共

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一章:企業と倫理
二章:私事と公共
三章:企業と公共
四章:道徳と良心
五章:浪漫と算盤

前回の記事で、企業倫理を考える理由として、企業が担うべき公共での役割が、歴史的に変化していることが1つの理由だと書きました。今回は、役割の変化の前に、そもそも「公共」とは何かを整理してみたいと思います。「公共」というと、「公共サービス」という言葉から国や地方などの行政を思い浮かべる人も多いかもしれません。それも「公共」という言葉の1つの意味であることは間違いないと思います。ただ、ここでは公共サービスの意味のみで「公共」という言葉を用いません。なぜなら、「公共」という言葉には、より広い意味があるためです。ここでの「公共」の意味は、「私(private)」に対する「公共(public)」のことを指しています。まずはこのことを考えるうえで、重要な思想家の一人であるハンナ・アーレントを紹介したいと思います。


ハンナ・アーレントについて


「公共」の考え方について、大きな影響を与えたハンナ・アーレント(1906~1975年)の議論をみていく前に、少しハンナ・アーレントについて紹介します。ハンナ・アーレントは、ドイツ出身の思想家です。学生時代は、『存在と時間』などで有名な哲学者であるマルティン・ハイデッガー(1889~1976年)に師事していましたが、ユダヤ人であったため、ナチスの台頭とともにドイツに住むことが難しくなっていきます。そこでアーレントは、フランスへの亡命を経て、1941年にアメリカに亡命しています。アメリカ亡命中は、大学で教鞭をとりながら、ニューヨーカー誌の取材活動として、アイヒマン裁判についての著述活動もしています。このことは近年映画でも取り上げられていたので、ご存じの方も多いかもしれません。そして最終的に、アーレントはドイツに帰国することはなく、アメリカで一生を終えています。

アーレントの公共性


そのアーレントですが、主要な著作の一つである『人間の条件』の中で、「公共」について論じています。そこでは、古代ギリシャのポリスから、「公共」について考察しています。ソクラテスやプラトン、アリストテレスといった哲学者が活動していたころのギリシャは、現在の国民国家とは大きく異なる規模で運営されていました。ポリスという言葉は、「都市国家」と翻訳されていますが、まさしく一つの都市を中心に広がる共同体というイメージだと思います。そのポリスでは、アゴラと呼ばれる市場に家長たちが出かけていくのですが、そのアゴラはポリス運営のための議論をする場にもなっていたそうです。そこに集まった人々は、自分の私的な利益から離れたうえで、ポリスにとって何が重要か議論していたとされています。なぜ自分の利益を主張する必要がなかったかというと、アーレントによれば、経済活動を含む自分の家のことは、家にいる奴隷や自分以外の家族が担っているため、私的利益をアゴラに持ち込む必要がなかったのだということです。「家」という私的領域については、奴隷や女性が担っているため、家長たちは「家」の利益から離れて、ポリスの共通の利益について話すことができたと、アーレントはみているわけです。このように、私的領域と公共領域が明確に分離し、自由な議論が可能になった場こそが、公共空間として重要だと考えられています。
もちろん、私的領域について女性や奴隷のみが支えることによって生じる公共領域というは、現在の価値観からは成り立ちません。ただ、ここで注目したいのは、私的な利益に対するものとして、共通の利益のために議論することを「公共」と呼んでいる点です。このような議論を踏まえると、「公共」という言葉が、必ずしも行政サービスなどの特定領域を指すわけではなく、より広い概念ととらえることができるのではないかと思います。


「公共サービス」以外の「公共」


ハンナ・アーレントが「公共」を考えるうえで、重要と最初に書きましたが、現在でもこの考え方の重要性は変わっていないと思います。例えば、早稲田大学の齋藤純一先生の『公共性』という本では、「公共」が持つ意味として、政府などが担う政策領域という意味に加え、参加者の共通の利益のことであったり、誰もがアクセスできることという意味が提示されています。確かに「公共サービス」に代表されるような行政が提供するサービスは、基本的にある特定の個人だけが利益を受けるものではありません。道路や橋が完成すれば、多くの人がそこを利用することができるようになります。また学校教育も、教育を受ける個人だけでなく、社会全体の教育水準を高まることによって、社会の利益へと還元されていくと考えられます。ですので、行政が公共領域を担っていることは間違いないでしょう。
しかし、齋藤先生の『公共性』の意味を振り返ると、共通の利益や広くアクセス可能な領域を担っているのは、行政だけではありません。わかりやすいところでは、市民のボランティア活動やNPO団体の活動などが、公共領域の活動に挙げられるでしょう。このような「公共」観は、アーレントの議論とリンクしているといえるでしょう。


企業と公共


以上のような視点から考えると、企業活動は本来、営利活動に基づく私的領域の活動だと考えられます。アーレントのポリスの議論にひきつければ、企業活動は「家」の内側で行われている経済活動ということになるでしょう。しかし、現代社会の企業は、あらゆる点で影響力を増しています。また、ポリスの家長のような特権的な地位の人はほぼおらず、むしろ多くの人は経済活動に組み込まれているのが現実でしょう。

次回は、今回の公共の議論を踏まえたうえで、現代の変化を捉えながら、企業と公共の関係について考えていきたいと思います。


参考文献
斎藤純一(2000)『公共性 思考のフロンティア』岩波書店.
Hannah Arendt(1958)”The Human Condition”, University of Chicago Press. = 志水速雄訳(1994)『人間の条件』筑摩書房.

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