049. 絵の教室はオンライン受講できる?|ミカエルの龍退治とフォルメンを描く
月に一度のシュタイナーの絵の教室「裏の畑」の日でした。
いつもは素敵な先生のおうちに伺うのですが、今日は長野にいる都合でわたしはオンラインで参加しました。
父の書斎にあるわたしが昔使っていた勉強机の上に画材を広げます。
紙は画材屋さんでワトソン紙を買って、絵の具と筆は百円ショップ。しかし、100円ショップの筆は毛があまりにも抜けるので、急遽父の書道用の筆を借りることにしました。すべて間に合わせで揃えたのでいつもと勝手が違うところはあれど、オンラインでも受講できてしまう新鮮さにちょっとした感動を覚えます。
窓の向こうに目をやると、清々しい青空。アルプス山々にかかる雲はすっかり秋の様相です。
さて、本日の水彩の課題は、ミカエルの龍退治のお話。
影が深くなる秋のこの時期は、ミカエルが龍と戦うのだといいます。
また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。 この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。
また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。 その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。
龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。 女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。
この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。 女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。
さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、 勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。 この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。
(ヨハネの黙示録 第12章より)
冷たい地上を青、うごめく龍を赤、そしてミカエルから振り下ろされる剣を黄で描いていきます。このモチーフに関しては、3年続けて描いているのですが、それぞれのニュアンスが全然違って面白い。
これは一昨年、2019年。
爆発しています。まるでディープインパクトのようですね。
これは去年、2020年。
上からの大きな光がまっすぐに龍を突き刺しています。
そして今年、2021年。
今までの「とっちめてやる!」ファイティング!!なモードではなく、どちらかというと理科実験室みたいな感じがしました。
龍の体にスポイトとか注射針のようなものをチュッとさして吸い上げているイメージ。
龍は母性のシンボル、とも言われているのですが、自分なりに母性との和解が進んできたことが絵に表れているような気がします。
後半はフォルメン。
いつものスケッチブックとブロッククレヨンがないので、カレンダーの裏紙に色鉛筆で。ちょっと見にくいかな。
2枚目は先程描いたモチーフを円の中に描いていきます。色を塗る時間がなかったので、あとでじっくり塗ってみます。
今日は初のオンラインとオフライン合同開催でしたが、色々と発見があって面白かった。特に音や匂い。
隣の人が畳をする音、絵筆を洗う音や呼吸の音。窓から教室の中に運ばれてくる風や土の匂いなど、普段あまりにも環境に溶け込んでいて気がつかなかったり、ノイズとして無意識にキャンセルされてしまうような感覚のもろもろが実はものすごく重要だったということに気づきました。
それらは実際の言葉でのやりとり以上にお互いを感じる要素になっていて、「共につくっている」という感覚をこんなにも補完してくれていたんだなぁと。
逆に新鮮だったこともありました。
オンラインで参加していると画質の関係上、なかなか目から新鮮な色の情報を得にくいし、描いている相手が映らないので、相手の描いた色や姿に対して想像を働かせます。すると、目に見えない色や感情が流れ込んでくるようなタイミングが時折あり、オンライン特有のリアルさを体感できました。
あと、なかなか自分の意思で視線や体を好きな場所に動かすことができないので、会場にいる人にお願いして画面を動かしたら運んでもらうのですが、なんだか肩に乗せてもらい、その人の肩越しに世界をみているようで、ちょっとしたアトラクションのようなワクワクを感じるとともに、不思議とどこか懐かしいような気もした。これはこれでありかもしれない。
ただやっぱり、次はリアルに会って五感でお互いの色や存在を感じながら描きたいなぁ。体がそこにありからこそ感じられるものが、ありありとわかる今の状態が消えないうちに。