過去の自分が未来の自分の自由をつくる|裏の畑美術部・バイオグラフィーワーク【土星期56-63歳】
先月9月12日は月に一度開催の、シュタイナー教育の絵の教室「裏の畑美術部」でした。(やっとふり返る時間が取れた・・・)。
水彩の課題では、2月からバイオグラフィーワークに取り組んでいます。
古い時代、人間の発達は7の倍数で進んでいき、それが惑星のならびに対応しているという考えがありました。バイオグラフィーとは、伝記という意味。バイオグラフィーワークでは、7の倍数の年齢ごとに月(は正しくは衛星ですが)から土星までの惑星を当てはめて自分の人生を振り返っていくということを行います。
第八回目のこの日は「土星期」。
いよいよ最終課題です。
まずは土星期に取り組む前に、前回の木星期と、土星期とミラーリングの関係にある月期の絵を改めて見返して、言葉する時間を持ちました。
そして、土星期の質問を自分の内側に投げかけます。
自分の財産は何か?
自分の人生の全体像をどう捉えるのか?
自分の衝動があるか?それは誰と繋がっているのか?
どんな生活を求めていたか?求めて過ごしていたか?
土星期は肉体に縛られない成熟した精神性を持って、最後にもう一度、地球へと愛をもたらしに戻ってくる。そんな印象を持ちました。
土星期(56-63歳)という年齢を、今世においてはまだ経験していないわけだけど、すでに経験している年齢域やミラーリングの関係を使ってみたり、問いかけることでぼんやりと掴めてくるものがあるから不思議です。
さぁ、筆を取って。
はじめに月期の模写から始めます。
過去に描いた自分の絵を模写すると、その時に描いた切実さや生々しさのようなものはどうしても失われてしまうが、それもまた良いことだなこの日は感じ入る瞬間が何度かあった。それはある意味では寂しさであって、ある意味では落ち着きや叡智の態度のようであるからだ。そこに土星の気配を感じる。
重さを重さとしてきちんと持っていられる器、と言ったら良いのだろうか。
土星期の私は、今(37歳)のわたしをどのように回想するのだろう?
この日はイメージがコロコロと次々に変わっていくのが面白かった。
はじめはみんなで焚き火を囲んでいるイメージが湧いたのでその情景を描いたのだが、だんだんと木が透き通って触手のように見えてきて、最終的にはナウシカの地下のひみつの部屋(?)のようなところでキラキラと輝いている胞子のように見えてきた。
土星というと、厳しさとか制限とか、ちょっと気難しく重々しいイメージを持っていたので、明るくて楽しそうな絵に仕上がったのはすごく意外だった。
けれど同時に、あぁ、これって本当にわたしの土星期を表している一枚だな。
と仕上がった絵を見て納得している自分もいた。
きっとあの月期・水星期・金星期のとにかく「生きる」ということに必死だった切実さがあったからそこから自由に楽しく展開させていくことができるのだろう。頑張って人生の土台を作ってくれた過去の自分に感謝せずにはいられない。
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続いてはフォルメンです。
スッスッスッスーッ。
間々田さんのチョークで描く音はまるで音楽のようだ。
自分の音もちょっとずつ聞こえるようになってきて、でもまだ呼吸のリズムと筋肉のリズムは噛み合わずに、両方のリズムを行ったり来たりしているうちになぜかよくわからないが体が整っている。それがフォルメンの面白いところ。
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後半はわたしが担当するボディワーク部です。