じあいとは|内から出てくる詩という音のような言葉
自愛とは
自分の本当の欲求に対して 徹底的に寄り添って
あげる態度だ。
誰かに「ご自愛ください」と伝えるとき
その人が、自分の欲求に対して寄りそうときがもてますように
という祈りを込めているのだ。
それを慈愛というのかもしれない。
だから流されない。
自分が、相手が、本当の望みでないものに流されたり
流されそうになっているとき。
私はじっと地に足をつけて、その流れが止むのを
待つ。
時折、しんと静まった心の内から、うねりのように言葉が響いてくる時があります。
それはとても詩的で、何かを説明するわけでも、補完するわけでもなく、ただただ音として響いてくるのです。
そして、その音は、言葉という外側の衣をまとっていく。
このプロセスを「詩」というのかもしれない。
詩人・萩原朔太郎は「詩は生きて働く心理学」と書いていたそうだけれど、ほんとうだ。
言葉を脱いでいった先に詩があるのか。
それとも、詩が言葉を脱がせてしまうのか。
詩には心の内からやってくるものに、大きな推進力を示す力を持っている。
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