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スティーブ・ハケットのソロ第1作はジェネシスファンの希望の光だった

 高校1年になった1975年、以前書いたように、ジェネシスのニューアルバムに夢中になっていた頃です。

 多分最初は、どこかの本屋で立ち読みした音楽雑誌の三行情報コーナーだったと思います。そこで、「ピーター・ガブリエルがジェネシスを脱退」という情報に触れるのです。

 イギリスの音楽誌メロディメーカーがこの情報をスクープとして報じたのは、1975年8月16日号だそうですので、これが日本の音楽雑誌に掲載されたのは、9月頃のことだと思います。その情報に接して、ものすごい衝撃を受けたわけです。

 とにかくいろんなプログレバンドを聴いたのち、やっとすべてが自分の好みというバンドに巡り合って、過去のアルバムまで全部遡って聴いて、そのすべてにのめりこんでいるその真っ最中に、いきなりこういうニュースがやってきたわけですから、それはもう、「残念」なんてもんじゃないわけです。

 史実としては、ジェネシスはSelling England By The Pound(邦題:月影の騎士)の次の作品であるThe Lamb Lies Down On Broadway(邦題:眩惑のブロードウェイ)の企画段階からピーター・ガブリエルの独立志向があったそうです。デビュー当時から、ジェネシスは民主的な運営を行なっていたバンドでした。ここでいう「民主的」というのは、「誰が作った曲であっても、全員でアイデア出し合って作り上げていく、そしてその結果曲の権利はすべて均等に配分する」ということなんです。クイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディ」に、バンドを離れようとしたフレディ・マーキュリーが戻ってくる時に、ブライアン・メイが「これからは誰が作った曲でも均等に権利を配分する」みたいな条件を出して、これをフレディが了承するというシーンがありましたが、ジェネシスはその方式をそれこそデビューのころからずっと行っていたのです。これが、ピーター・ガブリエル時代のアルバムに一切曲の作者のクレジットが無かった理由なのですが、このことが逆に、ジェネシスはピーターのワンマンバンドだというイメージを助長したという面があったのですね。

 ところが、こういう「民主的」な運営は、やはりメンバーの間で貢献度の高い人に限って不満が出てくるのは世の常です。ピーター・ガブリエルの不満はそれだけではなかったのですが、ベースにはこの状況があったようです。そこで、ピーターがコンセプトと全ての歌詞を一人で担当し、曲は残りのメンバーの合作とするという妥協点を見つけてようやく、The Lamb Lies Down On Broadway の製作に着手するわけなんです。そんな状況にもかかわらず、あんなロックオペラのように歌詞とサウンドがシンクロするような濃密なアルバムが出来上がってしまうという点は、もう神がかってるとしか言いようがないことなのですが。

 これだけの作品を作り上げても、結局ピーター・ガブリエルはツアーを終えたあとに脱退し、グループ継続を望んだ他のメンバーが新しいボーカリストを見つけるまでその事実を公開しないという約束をするのです。ところが、それがメロディメーカー誌にすっぱ抜かれてしまったのですね。

 そうこうしているうちに、今度はギタリストである「スティーブ・ハケットがソロアルバムをリリースする」とか、「ジェネシスの新ボーカリストは、ドラマーのフィル・コリンズが兼務する」という情報が入ってくるのです。スティーブ・ハケットのソロアルバム Voyage Of The Acolyte(邦題:侍祭の旅)の英米リリースは75年10月、フィル・コリンズが初めてリードボーカルをつとめたジェネシスのアルバム A Trick Of The Tail のレコーディングは75年10月からですので、時系列としては、こんな順番で情報が入ってきたはずだと思います。

①ピーター・ガブリエルジェネシスを脱退
②スティーブ・ハケットがソロアルバムをリリース予定
③ジェネシスの新ボーカリストはフィル・コリンズ

 こうなると、①でショックを受けて絶望するのは当然なのですが、②の情報で、「ああ、やっぱりこれでジェネシスは解散だ」と思って、さらに絶望度合いが高まるのです。ところが、その後に③を知って、解散は避けられて良かったとは思うのですが、その内容がちょっと信じられないものだったわけです。

 考えてもみてください。当時の状況で、ピーター・ガブリエルが脱退した後の新ボーカリストは、ドラマーだったフィル・コリンズだと聞いたら、みんな感じたと思うんです。ありえない!そんなんで大丈夫なのか? と。

 当時イギリスで、「ピーター・ガブリエルが脱退したジェネシスは、ミック・ジャガーが脱退したローリング・ストーンズより悲惨だ」みたいな記事を書いた音楽雑誌があったそうですが、本当にみんなそんな感じで見ていたのだと思うのです。ところが、あろうことか次のボーカリストは、ドラマーが兼務するというニュースを聞いて、「ミック・ジャガーが抜けたら、次のボーカリストはチャーリー・ワッツだってよ!」みたいな「ありえなさ」を感じてしまったのですね。

 そして、そういう精神状態をひきずっているときに届いたのがスティーブ・ハケットのファーストソロアルバム、Voyage Of The Acolyte なんです。

 つまりこのアルバムは、まだフィル・コリンズのリードボーカルとしての実力が本当にあるのかどうかよく分からない、次のジェネシスのアルバムが一体どんなものになるか全く分からない、それが大失敗するかもしれない…等という不安をもっていた全てのジェネシスファンに向けて、一足先にリリースされた、メンバーの初めてのソロアルバムだったのです。

 このアルバムの英米リリースは1975年10月ですので、わたしがこれを買ったのは、多分76年になってからだと思うのですが、そういう事情だったわけで、このアルバムの内容については、もう気になって仕方がないわけです。そのため、このアルバムは発売されて即買いました。

 ところが、これがまたなんともいえず素晴らしく、ファンの期待にこたえる内容だったのですね。サウンドは、それまでのジェネシスの延長上といえる感じのものだったからです。今はもちろん、スティーブ・ハケットの個性もしっかり入っていることがよくわかるのですが、当時は単に「なかなかにジェネシスっぽい」という印象がほとんどだったのです。さらにこのアルバムには、フィル・コリンズも参加していて、この曲ではボーカルも務めています。

Star Of Sirius

 もちろん、それまでもジェネシスのアルバムで2曲だけフィル・コリンズがメインボーカルを務めている曲があったので、彼がボーカルをやるのは、チャーリ・ワッツが歌うよりは少しはましだろうとは思っていたわけなのですが、それでもピーター・ガブリエルの代わりができるとはどうしても信じられないわけです。ところが、この曲を聴くと、なんかちょっと期待できるのかなという気持ちも湧いてきたりしたのですね。このアルバムのおかげで、ジェネシスのニューアルバムへの希望を持ったジェネシスファンは、世界中にけっこういたのではないかと思うのです。もちろんわたしもその一人だったのです。

 ところが実際のところ、このソロアルバムは、のちにスティーブ・ハケットがジェネシスを脱退することになる伏線になってしまうのですね。このアルバムには、フィル・コリンズの他、ジェネシスのベーシスト、マイク・ラザフォードも参加しているので、メンバー全員が制作に反対していたわけではないと思うのです。ジェネシスのマネージメントの正式な許諾も受けて制作していたのは間違いないのです。ただスティーブは、このソロアルバムの仕事のために、ジェネシスの新譜である A Trick Of The Tail の制作リハーサルの冒頭何日かを欠席*してるのですよね。ピーター・ガブリエルの脱退後、フィル・コリンズを次のボーカリストとして、「さあこれから新しいジェネシスを頑張っていこう!」といって曲作りのためにスタジオに集合したら、ひとりだけ「ソロアルバム作ってるから欠席だってよ」という状況がどれほどメンバーの間にわだかまりを作るのか、簡単に想像できると思うのですが、スティーブ・ハケットという人は案外そういうところが天然な感じの人のようです。このときいなかったはずのピーター・ガブリエルからも後に「スティーブはチームプレーができない人だ」とか評される人なんですよね。(ちなみに、ジェネシスはこのときスタジオに集まった3人で最後までバンドを継続することになるわけです)

 さらに、間が悪いというか何というか、Voyage of the Acolyte のセールスが当時の彼らの感覚からすると、かなり良かったという結果も、他のメンバーを苛立たせてしまったようです。

 ただ、こうして、1976年を迎えたわたしは、そんな事情など全く知らずに、ただただ Voyage of the Acolyte をヘビロテしながら、期待と不安が入り交じった複雑な気持ちで、次のジェネシスのニューアルバムを首を長くして待っていたのでした。

*スティーブ・ハケットは自著「スティーヴ・ハケット自伝 ジェネシス・イン・マイ・ベッド」で、「欠席したのはたった1日だけだ」と書いていますが、Genesis Chapter&Verseではマイク・ラザフォードが「数日休んだ」と証言していて、ちょっと食い違いはあるんです。まあそういうことなのですが、これは休んだ日数の問題ではないですよね…(^^;)

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