見出し画像

中学生のキング・クリムゾン初体験は、案外月並みなものだった...!?

 そんなわけで1974年、中学3年生のときに、プログレ4大バンドを次々と聴いていったわけなのです。

 このとき、キング・クリムゾンの音を聴く前にすでに、このバンドは、プログレバンドの中では一番古いバンドという印象を持っていました(本当はピンク・フロイドの方が活動歴は長いのですが)。というのも、プログレという音楽の元祖がこのバンドというような言われ方でよく紹介されていたので、聴く前からそういう認識を持っていたのでしょうね。そんな情報をインプットされたせいで、このバンドだけは、きちんと聞かないといけないのではないかという印象を植え付けられていたように思うのです。

In The Court Of The Crimson King(邦題:クリムゾン・キングの宮殿 1968)

 ということで、このアルバムIn The Court Of The Crimson King(邦題:クリムゾン・キングの宮殿 1968)は、もちろん持っていた友達がいたのですが、人から借りることをせず、いきなり自分で買った覚えがあるんです。このアルバムは当時から「ビートルズのAbbey Roadをチャートの1位から引きずり下ろした」という枕詞でよく語られていたというのも、そういう行動に出た一つの要因だったのかもしれません。ちなみに、最近Wikiを見たら、これってデマとはいえないまでも、全英チャートではなくて、どこかのマイナーなチャートなのではないかといわれているそうで、どうも都市伝説系の話のようですね。(知らなかった!)

 で、このアルバム、わたしをプログレの世界に誘った、あのグレッグ・レイクがボーカルだし、Yessongsでハマったメロトロンが、またイエスとも違う泣きのメロディーみたいなところでふんだんに使われていて、やっぱりこれはこれでドはまりしたわけなのです。

 ちょうどこの前後、キング・クリムゾンは、73年に Larks' Tongues in Aspic(邦題:太陽と戦慄)を発売していて、74年になると Starless and Bible Black(邦題:暗黒の世界)、Redと立て続けにリリースして、解散してしまうわけなんですよね。つまり、ファーストアルバムに接した直後に、ラストアルバムのリリースを見てしまうという環境だったのです。このときわたしは、そのラストアルバムをすぐに聞いてしまうのがなんかもったいない感じがして、敢えてファーストアルバムから順番に聞いていく(買っていく)という暴挙に出るわけです。当時クリムゾンの初期のアルバムを持ってる級友はあまりおらず、ここは一肌脱いだというわけなんです。(まあ人が持ってないアルバムを持つことは、レコード貸し借りのタマを補給するようなもので、ここで、クリムゾンのアルバムをたくさん持つことは案外意味があったという事情なのです)

 こうしてクリムゾンのアルバムを順番に聴いていくことになるわけなのですが、ところがどっこい、これがガキには苦行だった(笑)

In The Wake Of Poseidon(邦題:ポセイドンのめざめ 1970)

 ファーストアルバムと同様に、グレッグ・レイクがボーカルのセカンドアルバムですが、とにかくファーストアルバムと全くおんなじ雰囲気の曲が同じように並んでいるという、ここまでやらなくてもいいんじゃないかと思うほどの「同一線上」なアルバム。いくらファーストアルバムが売れたからと言って、こうなるとやっぱりあんまり新鮮味がないのですよね。コレ聞く前には誰だって宮殿は聴いてるはずなので…。ロバート・フリップがこの後アルバムごとに全く違うことをやり始めるのは、この失敗を反省したのかしら?と思えるほどのアルバムなんですよね。

Lizard(1970)

 このアルバムも、当時はなんと言って良いのかよく分からないという第一印象でした。以前の「泣き」のメロトロンがあんまり出てこなくなるし、ちょっとジャズっぽい?キーボードなども、正直あまり刺さりませんでした。今度は前作から違いすぎて、バンド名隠して聴かされたら絶対同じバンドだと思えないような内容ですよね。20分を超える組曲みたいな構成の曲がB面の後半を占めていて、こういう楽曲をイエスのClose To The Edgeよりも先にやったというのはよく分かったんです。しかもその曲は冒頭にイエスのジョン・アンダーソンが突然出てきて歌い始めてびっくりするのです。そのテーマはいいメロディだったんですけど、それが終わってからの時間は厳しかったですねえ….。

Islands(1971)

  さらにこのアルバムまでたどりついて、いよいよこのバンドのことがまるでわからなくなるという問題作(笑) 要するに、プログレに接してまだ日が浅い中学生(これを聞いたときはもう高校生になってたかもしれないですが…)には、「なんでこうなるの?」という印象しか持てませんでした。ラストのタイトル曲なんて、とんでもなくいい曲なんですけどね、でも、「これがキング・クリムゾンなの?」という巨大な?マークが頭のなかをぐるぐるしてしまった作品だったのです。

 ということで、なんかここまで来て、キング・クリムゾンについては、ほぼ挫折状態になってしまうのです。そして、もう順番とか、もったいないとかどうでも良くなってしまってから、Redを聴くんですね。リアルタイムに発売を経験したこのアルバムは、その時にいろいろな音楽雑誌のレコード評で激賞されてたのを読んでたからなんですよね。要するに、「これでRed聴いてダメなら、もうキング・クリムゾンはいいや、、、」と思ってたのですね。

Red(1974)

 で、背水の陣で聴いたこれには久しぶりに刺さったのです(笑)。ここから、ほぼ同じメンバーでレコーディングされている前2作を聴いて、なんかホッとすると言うか、「これぞクリムゾンだ〜!」とか知ったような口をきいてはまっていたわけなんです。

Lark's Tongues In Aspic(邦題:大陽と戦慄 1973)

Starless And Bible Black(邦題:暗黒の世界 1974)

 結局、ジョン・ウェットン、ビル・ブルーフォードというミュージシャンの凄さに触れたのもこの3枚のアルバムということで、ここでわたしのプログレ成分はかなり補強されたような気がします。

 ということで、なんか月並みなのですが、多分クリムゾンに相当なこだわりを持っている人でも、やっぱりファーストアルバムと、ジョン・ウェットン、ビル・ブルーフォードと組んでいた最後の3作品が好きだという人が多いんではないかと思います。「Islandsこそがクリムゾンの最高傑作だ!」なんて人にはあんまり会ったことがないもので…(笑)

 ちなみに、ロバート・フリップはこの後、ピーター・ガブリエルと組んだり、ちょろっとソロアルバムを出したりはするのですが、あまり目立った活動をせず、1981年に突如キング・クリムゾンを再結成してDisciplineを発表するわけなんです。もちろん、ここでまた新たな音楽性をひっさげての再結成ですよね。ロバート・フリップですからね(笑)

Discipline(1981)

 で、この後もアルバムは出るたびに一応聞いているのですが、実はこれ以降のクリムゾンに対しては、どうもあまり夢中になれずに現在に至るのです。Discipline以降の来日公演にも、ついに一度も足を運びませんでした。結局この後のキング・クリムゾン名義のものは全部聞いているのですが、Epitaphみたいな日本人が大好きな泣きのメロディー(この曲はかつて西城秀樹ザ・ピーナッツがカバーしてるくらいなので)が出てこなくって、それほど刺さらなかったということだったように思うんです。やっぱりわたし程度にはちょっと難しかったのでしょう、フリップ先生は。

ところが、最近こういう動画をみて、ちょっと絶句しました。

 これ、一部でけっこう話題になってましたが、ロバート・フリップと奥さんのトーヤ・ウィルコックスが一緒にやってる動画シリーズです。もともとはコロナ禍で外出できない人のためという名目で始まったシリーズなのですが、まだ続いてますね。素っ頓狂な奥さんに引っ張り回されてるのでしょうか? かのフリップ先生が、他人の曲のギターを弾きまくったり、踊ったりしてまして、まあ時というものは、人をここまで丸くするのだろうかという感じですね。それに、案外再生数稼いでいるので止められなくなったかな(笑) 今からでもこういうノリで、キング・クリムゾンを離れてソロでもやってみると、案外面白いんじゃないかと、なまくらキング・クリムゾンファンは思ったりするのです。


いいなと思ったら応援しよう!