歌詞はこちら
洞窟内で岩に埋もれたレエルのところにやって来た「死」を歌った内容で、主にスティーブ・ハケットの作とされている曲です。
【テキスト】【歌詞】とその内容 前曲 Anyway で、岩に埋もれて身動きが出来なくなり、死を待つ心境になったレエルのところに、いよいよ「死」がやってくるのです。ここで「死」は、Supernatural Anaesthetist(超自然的な麻酔医)というイメージで語られています。そして、この「死」は人に近づいてきて、容器から「何かを吹きかける」のです。
Exhausted by all this conjecture, our hero gets the chance in a lifetime to meet his hero: Death. Death is wearing a light disguise, he made the outfit himself. He calls it the "Supernatural Anaesthetist." Death likes meeting people and wants to travel. Death approaches Rael with his special cannister, releases a puff, and appears to walk away content into the wall. このような推測に疲れ果てた我らがヒーローは、一世一代のチャンスを手にする: 死である。死は軽い変装をしている、自作の衣装だ。彼はそれを 「超自然的な麻酔医 」と呼んでいる。死は人に会うのが好きで、旅をしたがる。死は特別な容器を持ってレエルに近づき、何かを吹きかけ、そして壁の中に消えていく。
【テキスト】 超自然的な麻酔医がやってくる もし彼があなたに嗅いでほしいなら 彼がしなければならないのは、それを吹きかけること 彼は素晴らしいダンサーだ
【歌詞】 そして、歌詞ではたった4行しか歌われず、内容もほとんど特筆するようなものではありません。
つまり、「死」のイメージが歌われて、いよいよそれがやって来るところまでは表現されているのですが、その結果については何もここでは語られないのですね。ネタバレをすると、次の【テキスト】冒頭で、以下のように表現されるのです。
Rael touches his face to confirm that he is still alive. He writes Death off as an illusion, but notices a thick musky scent hanging in the air. レエルは自分の顔に触れ、まだ生きていることを確認する。彼は死を幻影だったと判断するが、一方ジャコウのような濃い香りが漂っていることに気づく。
【テキスト】 レエルの意識の中では「死がやって来たのは、illusion(幻影)だった」ということで、まるで夢オチのような感じでレエルは生き延びるわけです。すでに肉体が死んでいるのかそうでないのかも曖昧なまま精神が旅をしてきて、ここで精神も死んでしまうわけにはいかないのはわかりますが、もうちょっと何かあっても良いのではないのかなあと思うわけです(笑)
ただ、後にピーター・ガブリエルはインタビューで、Death is indeed just another illusion.(死は本当に単なる幻影なんだ)と語ったそうですので、この頃彼は、本当にチベット密教の輪廻転生を信じていたのかもしれませんし、だからこそ、「死」なのに Anaesthetist(麻酔医)という言葉を使ったのかもしれないですね。
一方、これはわたしの考えすぎかもしれないのですが、ちょっと気になることがあります。前曲 Anyway では、この「死」については、sheと歌われているのです。
Anyway, they say she comes on a pale horse とにかく、彼女は薄い色の馬に乗って来るらしい And it's, "Good morning, Rael, so sorry you had to wait It won't be long, yeah, she 's very rarely late" それは…「おはようRael、待たせてしまって申し訳ない もうすぐだから、彼女は滅多に遅れることはないよ」
【歌詞】(Anyway) ところが、実際のThe Lambのツアーで使われたスライドでのSupernatural Anaesthetistとは、女性ではなく、こんなイメージなのです。
なんか突然ファンキーな兄ちゃんみたいなのが出てくるのですね(笑) このビジュアルイメージは一体何に由来するのだろうと、ずっと不思議に思っていたのですが、最近ひとつ仮説を思いつきました。
それは、ここで「死」は、一応レエルに対して仕事をしたのだけど、じつはその仕事がけっこういいかげんで、それに失敗したのだという解釈です。
このコンサートスライド画像を作ったのは、オランダに拠点を置くERGという会社で、担当者はオーストラリア人だったそうです。ということは、ひょっとするとこれは、74年当時の普通の白人が持つ「いいかげんな仕事をしそうな奴」のイメージではないかと思うわけです。そしてピーター・ガブリエルは、これを許容したわけですね。結果としてこのビジュアルは「それぞれの人の想像に任せる」というガブリエルの根本的な考えの発露でもあったのかもしれないのです。知らんけど(笑)
いずれにしても、主人公レエルは、ここで、もういちど死に直面し、それを乗り越えることで(それが偶然の何かの結果だったとしても)、個人的な成長の旅に不可欠な一歩を踏み出すことができたということなのでしょう。
【音楽解説】 この曲は、もともとは Anyway と次の Lamia をつなぐインストゥルメンタル として用意されたらしいのですが、最終的にピーターが少し歌詞をのせて完成しました。冒頭にも書いたとおり、スティーブ・ハケットがイニシアチブをとって作られた曲だと指摘されています。
The meticulous craftsmanship of Steve Hackett's guitar solo is remarkable; in its avoidance of literal repetition and constant variation of motives it recalls the "Canterbury" progressive rock of groups such as the Soft Machine (the length of the solo and variety of motives in "Here Comes the Supernatural Anaesthetist," in fact, is comparable to that of the "head" melody in the Soft Machine's "Facelift" [1970]). All the same, careful listening reveals that Hackett's solo is also double-tracked, with two solos panned hard left and right in the stereo field; at [0:57-0:58] and at [1:06], one can hear brief moments where the final notes in phrases are held for slightly different lengths! Even though this song is one of the weakest on The Lamb, it precedes one of the strongest songs in Genesis's catalogue. スティーブ・ハケットのギターソロの入念な職人技は目を見張るものがある。文字通りの反復を避け、モチーフを絶えず変化させる点で、ソフト・マシーンなどの「カンタベリー」プログレッシブ・ロックを想起させる(実際、「Here Comes the Supernatural Anaesthetist」のソロの長さとモチーフの多様性は、ソフト・マシーンの「Facelift 」[1970年]の「冒頭」メロディーに匹敵する)。よく聴けば、ハケットのソロはダブルトラックされており、2つのソロが左右のステレオチャンネルで左右に激しくパンされていることがわかる; [0:57-0:58]と[1:06]で、フレーズの最後の音符が少しずつ長さが違うのが聞き取れる! この曲はThe Lambの中では最も弱い曲の部類に入るが、ジェネシスのカタログの中では最も強い曲のひとつに先行した地位にある。
Genesis and The Lamb Lies Down on Broadway このように、目立たないですが、スティーブ・ハケットの職人芸がよく出ていると評されているのです。
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