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「こんな風に育ててしまった親が悪いの。ごめんね」と母親に言わせてしまった話

あぁ、文字にすると相当喰らうなあ。

大前提、私は今凄く幸せであり、とても親に恵まれていて、何不自由ない環境で育ててもらったと自負している。

そりゃあ紆余曲折あったし、たくさんぶつかったこともあるけれど、それは人と人なんだから当たり前。でもそんなこと記憶にないくらい、やりたいことはなんでもやらせてもらえたし、見守り、辛い時には必ず手を差し伸べてくれる愛で溢れた親に育ててもらえて幸せだと心から思っている。

そんな幸せな私に、母がボソッと、突然漏らした衝撃的な言葉と、私のどうしようもないこの悔しくて騒がしいこの気持ちを記録に残しておきたいと思う。

「そんなことないよ」と返したけれど、きっと伝わっていない。

母が「自分は間違えていなかった。娘が幸せで、自分も幸せだ。」と思ってもらえるように、しっかり生きよう。その決意を残しておこうと思う。

なぜそんな言葉を口にさせてしまったのだろうか。

私の家族は、父、母、私、弟の4人家族。
父と母は常識人であり、あまり型を外れない真面目な人たち。反対に、私と弟はかなりの破天荒で、自分の感覚を頼りに「今」だけを見て生きているような兄弟。

ここ最近は特にその破天荒ぶりが露わになるような出来事が多く、両親にはかなり精神的にも金銭的にも負担を与えてしまったと思う。(具体的な出来事はここでは伏せますが、人生で1回あるかないかという出来事がこれでもかというくらい頻発した。)

そんな状況の中、母と2人で弟の話をしていた時、母に冗談っぽく「パパとママは大変だよね〜こんな娘と息子で」と私は言った。いつものように、明るく、あくまでブラックジョークのように。後ろには『こんなに迷惑かけてごめんね、でも幸せいっぱいに過ごせてるのはパパとママのおかげだと思ってる。』が含まれている。

だけど、母はいつものように笑い飛ばしてくれるのではなく、冷静に、苦く笑いながら「親が悪いんだよ、本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。」と言った。

悲しかった。

悔しかった。

こんなことを言わせてしまう自分に腹が立った。

なぜそんな言葉を口にさせてしまったのだろうか。

母も立て続けに子どもたちが事件を起こすから気が滅入っていたのかもしれない。タイミングもあったのかもしれない。だけど、あんな悲しい声で、謝る母を人生で初めて見た。

なぜあんな言葉を口にさせてしまったのだろうか…

謝りたいのはこっちだ。今まで迷惑ばかりかけてごめんねと、伝えなきゃ行けないのはこっちだ。

もうそんな言葉を言わせないように。

どうしたら母を笑顔にさせ続けられるだろうか。どうしたら娘や息子が、いつも笑って、幸せでいっぱいだと見せ続けられるだろうか。

申し訳ない気持ちなんてもう1ミリも感じさせたくない。

今までの23年間、本当に自分勝手に、自由に生きさせてもらったなと、この出来事に感じさせられた。
その結果として今いる自分には、客観的に見れば不足している部分があって、それを持ち合わせていないのは親のせいなのではないかと感じさせてしまっている。今までの私の人生を否定するわけでも、これから自分の意思を無くして親のために生きる、なんていうわけでも全くないけれど、いい加減大人になって、ちょっとずつ親孝行しようと思った。

私たちのために生きてきてくれた母と父を、少しずつ自分達のため9割の人生に戻してあげたい。

今度は親のために自分が頑張る番だと、本気で思った。

私は現に本当に幸せで、今の環境や人間関係に恵まれすぎていると思っている。「娘が幸せであれば、親は幸せ」これは正しいと思うけれど、ちょっと違う。

幸せであることを「伝えられれば」親は幸せ。であれるのではと思う。

言葉はもちろん、定期的に会いに行くこと、自分は幸せに生きていると伝え続けること、たまには贈り物をすること、一緒に思い出を作ること。全て行動で伝えなくちゃ、伝わるものも伝わらないのだと思う。

もちろん今も十分事足りているとは思うけれど、もっと仕事を頑張って親に還元してあげたいし、大人になった今だからできる思い出もたくさん作りたい。金銭面も、精神面も、もっと成長しないといけない。

2人を旅行に連れて行ってあげたい。欲しいもの全部買ってあげたい。美味しいもの食べさせてあげたい。誰よりも幸せな満たされた老後の人生を歩んで欲しい。

明日からまた1週間が始まる。
こんな悔しい思いをしないように、しっかり1日1日を積み重ねていこう。

パパ、ママ、大好きだよ〜〜〜!!!



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