大企業の社員から鍼灸師へ
人生100年とピンピンコロリ
人生100年時代と言われるなか、ぴんぴんころりとあの世へ行ける死に方を望む人が増えている。だが、そんな人の多くは健康のための努力をよそに、仕事や家事が忙しい、育児や養育のために時間がないと言う。そして、ストレスから暴飲暴食をし、寝る間を削ってゲームや動画に没頭する。そんな生活でピンピンコロリなどできるはずもなく、20代後半には生活習慣病が現れ始める。生活習慣病から心疾患、脳卒中、内臓疾患など多くの病気を引き起こす。仕事や家事はやらなければ収入が減り家庭は荒んで行く。これらは目に見えるから解り易い。だから気になるし意識も高い。しかし自分の健康は少しずつ変化するし、痛みや不快感などはなくなることも多い。そのため自分の健康状態はなんとかなると思ってしまう。
なってしまった潰瘍性大腸炎
かくいう私も暴飲暴食生活とゲームに没頭する生活をしてきた。そのため30代前半で潰瘍性大腸炎の予備軍と診断された。私は週2〜3回の飲み会や接待、休日はゴルフ、もしくは休日出勤をしていた。そのため小さな子ども達と過ごす時間もなく、妻はストレスを抱えピリピリしていた。
それでも、自分の体は大丈夫だと根拠のない自信で自分を奮い立たせた。その結果、朝、血便が出た。血便は日増しに頻度が多くなった。お腹の痛みはないが不安が増していった。先ず、妻にそのことを伝え、病院に行ったことを覚えている。
潰瘍性大腸炎は不治の病と言われ、症状を抑える薬をどっさり処方された。その頃から、自分の健康を考えるようになった。血便が出る時と出ない時は何が違うのか、排便の調子が良いのは何が影響しているのかなど、毎日の生活をチェックするようになった。これが、今の私を作る最初のきっかけだったと思う。
嫌いなことをやめる
自分の健康を考えると、嫌いなことはやらないほうが良いという結論に至った。当時、嫌いだったのはゴルフと飲み会。ゴルフは一時期ハマってレッスンプロに指導してもらったりもした。でも、休日の1日をかけて安くないプレー代や参加費を払い、おまけに賭けゴルフもしなくてはならないのは大変なストレスだった。ゴルフは人と親交が深められるところはメリットだと思うが、ゴルフをやりたいと思うまでにはならなかった。飲み会は好きな飲み会と嫌いな飲み会があった。嫌いな飲み会は、愚痴を言い合う飲み会だ。お酒もつまみも不味くなる。そして二次会、三次会と続きタクシーで帰る。私はアルコールの耐性が弱い体質で、毎回二日酔いになっていた。二日酔いで一日の始まるのは最悪だ。そのたびに酒は飲まないと思っていた。
先ず、ゴルフをやめた。ゴルフ道具は全て捨てた。ゴルフの誘いがあっても当然のように断ることができた。今でもゴルフはやめて良かったと思っている。
飲み会は、ズルズルと続き会社を辞めるまで続いてしまった。でも、会社を辞めて鍼灸師の専門学校に入学してからお酒はピッタリと飲まなくなった。お酒を飲まなくても全く欲しくならない。体はお酒を必要としていなかったのだと考えている。
人生の転機は突然に
私は、自分の健康を考えていくうちに自分の人生をどう生きるか考えるようになった。
自分は何が好きで何が嫌いなのか。何をすることで喜びを感じるのか。自分の幸せはどんな時に感じるのか。自分にできることは何か。残りの50年をどう生きたいのか。自分が死ぬ時、どうありたいのか。こんなことを趣味のマラソンをしながら考えていた。
そんなある日、自宅の脱衣所で腰をかがめたところ腰に激痛が起こった。初めての体験だがぎっくり腰だとすぐに分かった。激痛でしばらく動くことができなかったほど痛かった。整形外科でレントゲンを撮ってもらったが、きれいな背骨で異常は見当たらないと言われた。しかし腰は痛むし、好きなマラソンもできない状態だった。
その悩みをラン仲間に相談したところ、鍼灸治療を勧められた。そこで出会った盲目の鍼灸師による2回の治療で腰はの痛みはなくなってしまった。この体験が自分の人生のターニングポイントになった。
私は自分が健康になるため努力をしようと決めた。そして、病気やケガで苦しむ人を少しでも救いたいと思うようになった。そのために鍼灸師になると決意した。それが40代半ばのことだった。
人生の決断は妻の一押し
いわゆる大企業に務めていた私は、このまま会社にしがみついていればある程度の収入は確保できていた。しかし雇用が延長されても65〜70歳が限界だし、同じような仕事をそこまで続けたいという気持ちはなかった。鍼灸師になりたいことを妻にいつ相談するかそわそわしていた。
鍼灸師への思いが強くなる一方、会社への思いはどんどん冷めていった。いよいよ我慢ができなくなり妻に相談した。すると妻は自分が働いて稼ぐから鍼灸師になってと応援してくれた。これはとても嬉しかった。感謝しかない。そして、会社を辞める決意ができた。
新しい人生の歯車が回りだす
11月に上司に会社を辞めて鍼灸師になりたいと伝えた。47歳の私の決断に上司は理解してくれ、退社が上手く進むようにいろいろ調整してくれた。1月に学校のオープンキャンパスに参加し、2月にAO入試を受けた。難なく合格し4月に入学することができた。なんのトラブルもなく一気にことが進んだ。まるで早く鍼灸師になれと何かに引き寄せられるような感じだった。
鍼灸師になるためには、国が指定した学校や施設で3年以上就学する必要がある。3年間の学費は450万円以上かかり、その間の収入もなくなる。これまで貯めた貯蓄を切り崩しながら、妻の収入とでやりくりをした。
そして3年後、無事国家試験に合格し鍼灸師となった。
卒業後、すぐに開業するつもりだったが一旦、鍼灸整骨院に就職することにした。それは子供が大学を卒業するまでの学費を確保するためだ。子供が大学を卒業する3年後に開業を目指し、それまで治療経験を積む期間とした。
駆け出しの鍼灸師
鍼灸整骨院で診る患者さんは様々で、頸肩腕症候群、五十肩、腰痛、膝痛、肘痛、頭痛、自律神経失調症、腹痛、眼睛疲労、むくみ、頻尿、ばね指、しびれ、などなど。それらの患者に鍼灸治療をしつつ、生活指導を行う。なかなか改善が見られない患者さんもいて、悔しい思いをしている。患者さんから見れば一年目の鍼灸師であっても先生だ。一年目だから分からない、できないとは言えない。今は、患者さんに自分ができる全てを施し、わからないところを調べ、次に活かすの繰り返しだ。
この鍼灸師という仕事は、自分にとって天職だと思ってる。患者さんに感謝された時の喜びは最高だ。これを100歳まで続けられるように自分の健康に気をつける。自分の健康維持に関するノウハウを患者さんに活かしたい。そしてこのNoteに投稿して悩んでいる人の助けになりたいと思っている。
今、最高の人生を歩んでいる。ワクワクが止まらない。