自傷をやめている話
自傷をやめています。もう、1ヶ月弱。それは、深く切るようになって痕がしっかり残るようになったから。
今更もう遅い後悔です。しかし仕方がないから、日光を避けて保湿してアットノン塗って、薄くするだけです。まだまだ残りまくっていますがね。
代わりに、多めの薬やおよそ飲み物ではないものを飲むという行為をしてしまう。してはいけないことは重々承知なのですが、もう、どうしようもない。落ち着かなくてどうしたらいいのかわからんのです。切らなくなっただけマシ、と自分に言い聞かせてはいますがこんなことしていてはどうしようもない。わかってはいる。辛い。ただ医者に相談しても怒られるか強制入院させられるだけなので、この強めの波が来ている鬱状態を自力でどうにかするしかない。
切りたくなっても耐えている理由がもうひとつあります。友人からの言葉です。
その友人は年齢はひとつ上で、好きなものが同じこともありかなり仲の良い女性です。親友と言っても差し支えないくらいの。そして、自傷のことを包み隠さず伝えられる数少ない知り合いです。その友人と遊びに行き、喫茶店で話し込んでいたとき、病気の話になり。
「正直、どうやって声をかけたらいいかわからない時がある」
「あなたの精神的な安定を優先すべきなのか、止めるべきなのかわからない」
「極論自分の責任と言えてしまうけど、でも……」
今まで、私の行為を止めも促しもせずただ聞いてくれていた友人の本音に、心臓をぎゅっと掴まれるような衝撃を受けました。少し考えてみればそうでしょう。そりゃそうでしょう。わかっていたはずなのに、静かな友人に甘えていた自分がいました。
そう聞いた時、止めてこないからと友人に好感を持っていた自分を強烈に恥じました。自分のことを思ってくれている人と、そうでない人を履き違えてはいけない。わかってくれているなんて、そんなの相手を慮らないただの甘えでした。
私はごめんなさい、と謝った記憶があります。思えば友人は、向かい合って座った私の、左腕の袖を引っ張る仕草をずっと目で追っていました。
人に気を遣わせることが何よりも苦手です。友人のことを侮っていた私は、気を遣わせていたことをはっきりと自覚して、ああもうやめようと思いました。自傷はやめよう。やめた方がいい。
友人のことが好きだから、やめる。何よりも大きな動機でした。他にも何人か、顧問の先生やカウンセラーのお姉さんなど自傷について話している人はいます。いるけれど、大人だったり専門の人だったりして甘えても許される対象です。極論、関係が切れてもいい人。
けれど、この友人は違います。人として面白くて、一緒にいて楽しいから、これからも付き合い続けたい。対等な関係でいたい。友人にかつて「全て受け入れてもいい」とぼそっと言われたことがありました。その時はただびっくりしただけだったのですが、今思うと、そんなことを言わせてはいけない。一方的に甘えて気を遣わせては関係性が破綻します。実際そうでなくとも、そう思ってしまっては私が関係を終わらせることを選ぶでしょう。気を遣わせている自覚が何よりもしんどいので。
それを大きなきっかけに、切りつける自傷をしたいとは思わなくなりました。依然として、別の自己破壊的な行為に出てしまうことはあるのですが、人に打ち明けすぎるのも考えものです。自分の中で消化できるようにしていかなければ。私の今後のためにもその意識は必要。自分の足で立ちたいのです。
これから冬を越えて、暖かくなります。半袖の季節がくるでしょう。春には高校の友達と卒業旅行にも行きます。切っている場合ではありません。
冬休みになって、鬱の波が来ました。希望があるようには思えないけど耐えます。たぶん越えられるから。頑張ります。