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子どものワガママ、どこまで聞くか?を根本から考えてみた。

はじめに

 子のワガママ、どこまで言う通りにしたらいいのかな………と、迷ったこと、ありませんか。


 私(母)はここまでは自分でやらせる、なのに旦那や祖母祖父は子どもの言うことなんでもきいちゃうんだけど😡ありえないんだけど?なんなの〜〜〜みたいな笑

 「いや、あなたが厳しすぎるんだって笑」

 なんて言われたら、カチンときたりして…。

 これは父のサイドでも、老若男女問わずあるあるな気がするんですが、どうでしょうか。

 だれもが、自分に関する基準も、子に関する基準も、みんな違います。

 育った家庭が違えば、基準も違う。

 そして知識や経験を得れば得るほど、基準も厳しくなったり、 逆にそこは気にしない。と緩くなったり。

 だから、夫婦や家族、時に友達や学校などとぶつかるわけだと思うんです。

 ここでは、「子どものワガママ、どこまで聞くか?」の答えを、それぞれの親が考えて出せるように、私なりの提案をしたいと思います。


 お付き合いいただけるとうれしいです。


親のエゴだと言い切る勇気

 結婚、出産、育児。

 これらすべて、生まれてくる子どもには、おそらく何も選択肢はありません。
 (お空の国から親を選べるのなら、ちょっと違うかもしれませんが笑)

 子育てで毎日大変な親ですが、子どもを産むと決めたのも、育てているのも、子どもに何かをしてあげるのも、全て親が「したいからしている」といえるんじゃないでしょうか。

 すべて、親のエゴなわけです。


 ……………いやいやいやちょっとまってよ。

 全部やりたいからやってる、なんて言えないよ。したくないことだって、子どものためだって、しょうがなくやる時たくさんあるわよ。と。


 私たち親だって、子どもは大切で好きだけれども、他にやりたいことあるのに我慢しているのよ。


 外食で好きなもの食べたい。
 朝なーんにも考えずに寝坊したい。
 長期の海外旅行したい。
 時間も考えずにお酒を飲んで、好き勝手やりたい。
 他にもたくさん、本当にやりたいことはあるよ。

 子育てがすべて親が望んだのエゴだって言い切るのは、厳しくない?


 …………と、思われたかもしれません。


 ですが、、事実として、、、

 育児はやっぱりほとんど親のエゴなんだっていうのは理解しておくべきなんじゃないかな。
 と思うんです。


 例えば、習い事について考えてみてほしいんです。

 子どもに何をやらせるかって、親のエゴじゃないですか?


 あなたにはこれがいいんじゃない?やってみなよ。これがいい?ふーんそうなんだ。それじゃ、やってみる?

 中には、自分がこういう経験したから、こういう習い事をさせたい、と思う方もいらっしゃると思います。


 別に親の子どもの習い事に対する思いが強かろうが、弱かろうが、やっぱり習わせると最終的に決めたのは、親だと思うんです。


「習い事をさせる」と最終的に決めて、お金を支払うのは親ですから。


 でも、この習い事の決定権が、子どもにあるのだ、と親が思い込んでしまうと、非常に、ややこしいことになるんじゃないでしょうか。

 「あんたが習いたいって言ったんだから通わせてるんでしょ!?ちゃんと行きなさいよ!」

 これは、習い事は子どもに決定権がある、と捉われかねない声かけになります。


 なんだかよく聞く声かけな気がしますが…。


 でも、待ってください。
 あえて極端な書き方をするなら…親が子どもに習い事をさせている本当の理由は、

 「子どもがこれをやりたいと言ったから、親がやらせようと思ったので、親がお金を払っているんです。」


 ですよね?


 子の思いを汲んであげよう、と決めたのは親なわけなんです。


 あくまで判断のベースは子どもの意思だったかもしれませんが、それを採用しようと思ったのも、採用すると決めて、先生にお金を払っているのも、親。


 だから、子が「習い事行きたくない」と言ったとしたら、


 「あんたが習いたいって言ったんだから通わせてるんでしょ!?ちゃんと行きなさいよ!」


 ではなくて、


 「「あなたが行きたくない」と言うのなら、私(親)もお金を払いたくないと感じるので、私(親)、先生にやめますって言ってきたいと思うよ。あなたは、本当に行きたくないの?」

 だと思うんです笑 
 こまか!理屈っぽい!笑


 ここで、もし本当に「行きたくない。」と言う返答が来たとしたら、

 どうして行きたくないのか。
 やめるということはどういうことなのか。
 習い事をやめることで何が起きて、どうなるのか。(どれくらいお金がかかっていて、それがどういう価値を見出していて、どういう効果があると見込んでいたから習わせていたのか。やめたら何に使われるのかなど。)


 子どもの「行きたくない。」が、かなり浅い理由からだとしたら、何かその理由が大人と話すことで解決するかもしれないですし、

 大人から語られる習い事のメリットやデメリット、金銭的負担、習い事という体験の価値、子に対する親の願いなど、親の知識と思い(エゴ)を聞くことで、子どもの習い事に対する考え方は変わるかもしれません。

 それでも子が本気で「やりたくないんです。心から。」と言うなら、親が、本気でやりたくないという子にまで習わせるメリットを考えて、メリットがあると言い切れるのなら、続けさせたらいいし、違う選択肢を検討してもいいですよね。


 つまり、子どもは、習い事を「親にやらせてもらう」立場です。

 一体どうして、習い事をやらせていただくことになったのか。

 自分軸で、習わせていただきたい理由を考えなくちゃいけないはずなんです。

 だから、「行きたくない〜!!」っていうのは、本当なら、「行きたくない気持ちになってしまいました〜!!!お母さん、どう思われます?この前まで僕が行きたかったから、習わせていただいてるんですけど…僕、どうしたらいいか、自分でわからなくなってしまって…。」って言わないとふさわしくないですよね。笑

 立場をわきまえた発言とは、このことです。   
 多分そんな子どもいないですけど笑


 でもそのくらい、一体誰に主軸があるのか、親も子も考えないと(考えさせないと)いけない。ということです。


 習い事をするのは、こども。
 習い事をやりたいのは、子ども?

 習い事をさせているのは、親。
 習い事をさせたいのは、親?


 で、ですね。

 親が「習い事させたい」と心から思っているのならば、「私(親)がさせたいと思うから、習わせたんです。行きなさい。」

 これでいいと、私は思っています。
 たとえ、子どもが嫌がろうとも。

 大事なのは、この習い事は私(親)がやってほしいと思っているから(エゴ)です!!!とはっきり子どもに示すこと。

 絶対に、「あなたがやりたいって言ったんでしょ」と、子どものせいにしないこと。


 親のエゴを子どもに押し付けるなんて、と思われるかもしれませんが、、、


 安心してください、子育てってほとんど最初は親のエゴばっかです。笑

 産むと決めたのも、自分たちで育てると決めたのも、ミルクを与えたのも、オムツをかえたのも、トイレトレーニングさせたのも、保育園や幼稚園に行かせたのも。

 しつけだって、親がこうあるべきだと考えているもの(エゴ)を、子どもに押し付ける行為です。

 たとえ、誰かに言われたとか、そうしなきゃいけなかったから、ということだとしても。

 やろうと決めて、やってきたのは親なんだから、全部親のエゴに集約されるわけです。

 だから、育児は親のエゴだと、言い切る勇気を持つべきだと思うんです。

 みんな、育児は自分がやろう!と思ってやってる。

 本当はやりたくないことも、好きな子どもを育てるためだ、と自分で決めてるから、やろう、と歯を食いしばってやってるんです。

 やろうと思って、やってるんです。
 親のエゴなんです。

 どうか、やろうと思ってやれる、親である自分に自信と誇りを持ってください。

 親のエゴを、必ず、これは「親のエゴです」とはっきり言い切ってから、押し付けてください。


 でも、決して「親のエゴ」を「子どものエゴ」にすり替えないでください。


 親に、「親のエゴ」を「子どものエゴ」に勝手にすり替えてから押し付けられると、子どもはわけわかんなくなって、とっても苦しみます。親のことが信じられなくなって、反発します。


 みなさんにも、「親のエゴ」なはずなのに、「あなたのせい」と勝手に「子のエゴ」かのように責められて、苦しんだ経験はありませんか?


 育児は、大体親のエゴで、
 「親のエゴです!だからやってください。」と言い切ることで、いろいろな問題がはっきりしてきます。

 そうすれば、子どもも、「親がこう思ってるから、僕はやるんだ」と、親を真っ当な理由にできます。

 次第に、「親はこう思うみたいだけど、僕はそう思わない。なんで親はこう思うの?」という素直な疑問が生まれてきます。そこから、討論ができます。

 「親のエゴ」を、「子のエゴ」だとすり替えられさえしなければ、物事はとてもシンプルなはずなんです。

 ですが、だからといって、「親のエゴです!だからやってください。」って言ったとしても、子どもはすぐやってくれるわけじゃないんですよね〜。

 だから苦労するんです笑

 次の章から、どうやってやらせるか、そして成長させられるのか?について具体的に解説していきます。


子育てのゴールは、子の自立と親の自立

 「育児は大体親のエゴ」「親のエゴだと言い切ってから、子どもに押し付けよう」ということがわかっていただけたでしょうか。

 でもちょっと前に戻ってください。

 親だってやりたいこと、やりたいですよね?

 休みたいし、寝たいし、遊びたい。

 で、育児の最終目的地は、そこだと思ってほしいんです。

 最終的には、子どもが自立する。
 そして、親が自立しても平気。

 親が自分の好きなことをやっていても、子どもも好きなことをやれる。そして、互いが互いを尊重し合いながら仲良く暮らせる。

 ここがゴールだと、再確認してほしいんです。

 つまりですね、親が自分のやりたいことをやる。それ以外のことは、いずれ子ども自身が自分で考えてやることになる。と思い出してほしいんです。

 それは当たり前じゃん。って思われるかもしれませんが…。

 自分の子が、「まだ〇〇歳だから」って、手助けしちゃってること、ありませんか?

 例えば…

 何かして欲しいとき、「〇〇してください」と子がお願いしなくても、「ん」とか、無言で差し出されるだけで親がお願いに応えてしまう、とか。

 「〜いやだ!」と子が感情を言うだけで、親が要望に応えてくれるだとか。(「いやなので、〇〇してください」まで子からお願いしていないのに)

 牛乳をこぼしたら、親は「気をつけなさいよ!!」だけ言って、親が片付けてしまったり。

 言い出したらキリがないのですが…。
 一度、自分の子どもに、本当の「大人の対応」をしたら、果たして子どもが「大人の対応」で返せるのか、考えてみて欲しいんです。

 出来るわけない、って思うところが、子どもがまだ身につけられていない弱いところです。

 そして、出来るわけない、ってことは、
 いつか急に出来るわけないはずなんです。

 幼稚園児になったとしても、小学生、中学生になったとしても。

 もちろん、外に出て、友達や先生から学ぶことで成長はします。
 でも、少しずつですし、個人差もあります。学べないことだってあります。

 子どもの、まだ「できない」ことを一番理解して、鍛えてあげられるのは、一番身近で、一番長く接する親だと思うんです。

 ということは…今から、できるように、「こうやるんだよ。こういうときは、こういう言い方をするんだよ。」と何回も何回も教えてあげる必要があるはずなんですよね。

 いやいや、〇〇歳のこの子にそれは早すぎるんじゃない?と思うかもしれませんが…。

 でもじゃあ、いつから教えるんでしょうか?
 小学生ですか?中学生ですか?
 いつからって、だれが決めたらいいんですか?

 〇〇歳の子に、それが「できる」のは、難しいということは確かにあります。

 でも、「できる」時期は関係ないと思うんです。

 だって、0歳の子が文章を喋るのは「できない」けど、親は最初から文章で語りかけるじゃないですか。

 そして、親がずっと文章で語りかけているから、子どもは、早ければ3歳くらいには、文章で喋れるようになりますよね。もっと早い子も、遅い子もいるはずです。

 そのくらい、気を長く持って、繰り返し教える必要があるんだと思うんです。

 だから、私は、子どもがある程度しゃべれて、意思疎通ができるようになってきたら、容赦なく「大人の対応」を教えていっていいと思うんです。

 ただし、すぐできるように、とは考えません。

 いつできるようになるかなんて、だれもわからんね〜!の心持ちです。いつかできる、いつか自立する日までコツコツと。


 何かしてほしいときは、「お願いします」
 何かしてもらったら、「ありがとう」
 悪いことしたら、「ごめんなさい」

 自分の荷物は自分で持つ、自分で着替え、自分でご飯を用意し、自分で洗濯をし、自分で掃除をする。自分の時間は自分で管理する。自分の失敗は、自分で責任を取る。


 いやーーーーー無理無理無理、
 そんなのイチイチやらせてたら、日が暮れちゃうよ。そんなん難しすぎるよ〜と思われましたか?笑


 だからこそ、思い出してください!
 親のエゴを!!!笑


 究極、親がやりたくなかったら、子にやらせなくてもいい。手伝っちゃってもいい。それでいいんです。

 でも、子ができるようにならないことが親の望みなわけではない(ややこしい!)ので、親の余裕がある時だけ、手伝わずにやらせる機会を作ったら良いと思います。

 大切なのはここでも、
 「私(親)が、今はやらせたくないので、手伝ってます!」(手伝うのも親のエゴ)と言い切ること。

 「今は急ぐ予定がないので、親は手伝いません。自分だけで、片付けやってごらん。」

 と言っても、子どもはギャーギャー嫌がるかもしれませんが、放っておきましょう。

 片付けできるまで、子の喜ぶことも決してやってあげませんから、大丈夫です。

 ごはん、おやつやゲーム、遊びなどなど。それをやらなかったり、やるのが遅れたとしても支障が出ない時にだけ、手伝うのをやめてください。
 つまり、「急ぐ予定がないから手伝わない」ときは、すべての物事に対しても手伝いません。

 親が、「片付けは、急ぐ予定がないから手伝わない」と言うのに、おやつもごはんも、ゲームもさせてくれるのはおかしいですよね。

 急ぐ予定がないですから。

 時間がある時こそ、こどもにやらせる。

 そして、その時決して親は手を出さない。

 そういう状況になってはじめて、子どもは、「どうやったらできるだろうか」を真剣に自分ごととして考えられると思うんです。

 「親がやりたいと思うとき」、つまり、手伝わないと親がしんどいときは、手伝う。

 「親がやりたいと思わないとき」、つまり、手伝わなくても親がしんどくないときは、手伝わない。

 だから、最初は手伝わなくても親のメンタルが大丈夫だったとしても、何かやることができたり、親がしんどくなったら手伝っちゃってもいいんです。

 でも、「あ、今は手伝っちゃったな〜」って親が自覚してることが大事だと思うんです。

 手伝わない機会をできるかぎり、たくさん作って、親がやらなくても子どもがやれるように練習させよう。

 正直、親が手伝わなくてもしんどくない時間なんてちょっとしかないかもしれません。

 でもそのちょっとがあること。

 そして、親が親自身のエゴを自覚して、子どもに声かけができること。

 このことを踏まえたら、子のワガママをどこまで聞くか、聞かないかの基準がわかってきたんじゃないでしょうか。

 親がワガママを聞きたくないときは、聞かない。でも、聞きたくなくても、ワガママを聞かないと親が笑顔になれない(親がしんどい気持ち、大きな危険が伴うなど)ような状況のときはワガママを聞く。それは全部親のエゴ。
 時間があり、心に余裕があるときは、ワガママを聞いてあげない。自分でやらせて待つ。


 私は、こんな基準が存在するべきだと考えています。「親が笑顔でいられるならば」というエゴの変数を含んだ基準なので、これは親のメンタル次第で、その時に応じて変化してもOKなのです。


自立させるテクニック

 大変長くなりましたが!ここからは、親がやりたくない時、つまり子ども自身に物事を取り組ませ、自立させるための声かけ方法について、私なりの意見をまとめたいと思います。

親「今時間あるから、ん〜それは自分でやってごらん。」
子「いやだ!!!!できない!!!」

ここからスタートしたとしましょう。
することは…この2つです。

①問いかける
②待つ

まずは…

①問いかける

 まあ、必ずと言っていいほど、子どもに「自分でやりなさい」と言ったら拒否されると思います。笑


 でも、自分でやらせてみないと成長はしません。ギャーギャー言う子に、まずは、


「どうしたらできるようになると思う?」

 と問うことが大事だと思います。

「できない!!!」と君は言うけど、君は、君自身ができるようになるためには、どうしたらいいのかな。と考えさせるわけです。

 そりゃ親が手伝ったらできるよ。

 できるけど、君がやれるようにならないと、自立しないと、親はいやなんだよ。

 いつまでも、大人になってまでやってあげることはしたくないからね。

 というか、いつまでも親にやってもらっている人のことを、大人とは呼べない。このままじゃいつまでも一人前とは認められないよ。君は、いつまで半人前でいたいのかい?君は、君の主張を通したいと思うことがあると思うけど、一人前の態度を取ることが出来ないと、一人前の主張を受け入れることはできないね。

 という姿勢を貫くことが大切だと思います。

②待つ

 ある程度厳しく「親は手伝う気はないよ」「あなたはどうしたらやれるようになると思う?やってごらん。」と突き離したら、あとは、待つのみです!!


 「待つ」って言っても、この場合の「待つ」は、"子ども自身が挑戦するまで"じっと「待つ」ということです。

 ぼーっと見て、ただ「待つ」のとは、意味が変わってきます。

 ああしたら、こうしたら、ああ〜それは絶対失敗するって…………なんてことは言っちゃダメだと思います。アドバイスも、極力不要です。めちゃくちゃ言いたいけど!笑

 どーうしても、子どもがグズグズするようなら、ちょっと手助け、ちょっとアドバイス、はもちろん時と場合に応じてOKですよね。

 でも、どうしたら…って試行錯誤することこそ、自分軸で考えて動くための学びですから、そこを大事にしてあげたいです。


 どきどきハラハラ、大失敗するときも(怒らずに)見守って、挑戦したことを大いに褒めてほしいと思います。

 このとき決して、失敗したら叱るのはやめてください。失敗を恐れて、挑戦を怖がるようになってしまうと思います。

 親が、子どもの挑戦を「待つ」ことで、失敗を厭わずに新しいことに挑戦する力が、身についていくと思うんです。


まとめ

 「子どものワガママ、どこまで聞くか?」
 の私なりの答えは、
 「聞くか?ではなく、どこまで聞かないか?ということを基準に考えます。」
 「親が、心からの笑顔を保てる限り、子どものワガママを聞いてあげません。子どもの挑戦を待ちます。」です。

 子育ては大体親のエゴ、と考えます。

 「これは親のエゴです!やりなさい。」と明確に言い切ってから、子どもに押し付けることが大切だと思います。

 18歳まで、保護者には監督責任がありますからね。

 「親のエゴ」を「子のエゴ」と変換して子に押し付けると、大変なことになります。

 親も子のせい(他人軸)で動いてしまうし、
 子どもも、親の思いと自分の思いは明らかに違うと分かるので、押し付けてくる親が許せなくなり、子も親のせい(他人軸)にするようになりがちです。


 親も、親のエゴを自覚して、物事を自分軸で捉え、子に押し付けていることを自覚すること。
 子も、子のエゴを自覚した上で、物事を自分軸で捉え、親に押し付けられていると理解すること。

 これが明確であれば、反抗期になり、成長したときも、子どもが簡単に「親」と「自分」を切り離すことができ、自立することができるんじゃないでしょうか。

 長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。            そね



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しだまり
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