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【連載小説】怒らない恋人/第一章:2


前回の話

 莉奈りなさんに会ってみたいな。私がそう言うと、大輝ひろきは想像以上に喜んだ。その喜びっぷりにまたしても私の中にモヤモヤした感情が溜まっていきそうになったが、ぐっと堪える。大輝は飲み会をセッティングしてくれると言って、さっそく莉奈に連絡を取り始めた。
 それから、飲み会が開催されるまではあっという間だった。大輝は飲み会の幹事やまとめ役が得意で、本人もその役割を率先して引き受けるタイプ。私はいつも誘われるまま飲み会や女子会に参加だけするタイプだから、リーダーシップをとれる大輝のことは本当に尊敬する。
 飲み会のメンバーは全部で4人。私と大輝。それから、莉奈と、莉奈の恋人の潤也じゅんやだ。

 飲み会当日、大輝と2人で訪れた居酒屋は外観も内装もとてもお洒落で、私は大輝のセンスの良さに改めて感心した。ほとんどの席は半個室で、騒がしくても落ち着いて話せる雰囲気。そんな良い雰囲気の店内で私の向かい側に座った莉奈は、まず最初にこう言った。

「初めまして、由依ゆいちゃん! 由依ちゃんの話は大輝からたくさん聞いてるよ。大輝がお世話になってます。大輝はだらしないとこあるから、色々と大変でしょ? 由依ちゃんに迷惑かけてない? 大丈夫?」

 ああ、すごい。莉奈はやはり、私とは住んでいる惑星が違うのだ。自己主張かなり強めな莉奈の挨拶に曖昧な笑顔で頷きながら、私はくらくらしていた。室内の照明に反射する莉奈のミルクティー色の髪は、絶対に私には真似できない髪色。視線を絶対に逸らそうとしない人懐っこさに気圧される。
 その全部に怯みながらも、莉奈と会ったことを後悔はしていなかった。むしろ、安堵すらしていた。私と莉奈は性格も見た目もあまりにも違う。きっと莉奈も大輝と同じで、嫉妬なんていう面倒な感情とは無縁の人なのだろう。だから、恋人の前でも平気で異性の話をしたり、2人きりで遊びに行ったりもしてしまう。細かいことで嫉妬して苛々する私とは、根本から価値観が違うのだ。初対面の相手には警戒心を剥き出しにしてしまい、打ち解けるのに時間がかかる私とは正反対。 

「初めまして、潤也といいます」

 莉奈の隣に座っている潤也は、私と大輝に向かってとても控え目な挨拶をした。潤也は整った顔立ちをしているけれど、就職試験の面接みたいな礼儀正しさのせいで堅苦しい雰囲気が拭えない。そんなに身構えないでよと言いたくなる。けれど、それは私も同じだっただろう。これは私の直感だけど、私と潤也はタイプが似ている。真面目と言えば長所だが、初対面の挨拶では堅苦しさが全面に押し出されるので、相手が身構えてしまうのだ。ひょっとして、大輝と莉奈は異性の好みまで似ているのだろうか。

「潤也くんったら、ちょっと緊張してるの。ごめんね」

 莉奈がすかさずフォローして、潤也がやっと笑った。そのぎこちない笑顔を見て、私も自分の顔が緊張で凍りついていたことに気がつく。潤也に向かって「私も緊張してるからお揃い!」と言ってみようかなと思ったけど、彼女がいる男にぐいぐい距離を詰める無神経な女という印象を持たれるのが恐くなって止めた。
 4人でぎこちない乾杯を済ませたあとは、しばらく莉奈と大輝が中心に会話していた。私は大輝の隣でぼんやり相槌を打っているだけで、このまま赤べこみたいにペコペコと頷き続けたまま飲み会が終わるんじゃないかなと懸念していたが、莉奈が私にもこまめに話しかけ、会話から置いてきぼりにならないように配慮してくれた。
 私がついていけない話題になると「ほらぁ、由依ちゃんが困ってるよ!」と、大輝を冗談混じりに叱る。話に加われない私にとってはありがたいことだったけれど、自分の彼氏が他の女に叱られているのを見るのは複雑な気分だ。だけど、莉奈は大輝と同じく嫉妬の感情に疎い。そう自分に言い聞かせると、不思議と落ち着いていられた。
 氷が溶けて味が薄くなっているカシスオレンジをちびちびと飲む。もともとお酒があまり好きじゃない私はカシスオレンジがどんな酒なのかも知らない。カシスってなんだろうと疑問を抱いても調べようとしないから、きっと永遠にわからないままだ。

「由依ちゃんはとっても素直そうだね」

 私の顔をじっと見つめた莉奈が、突然、褒めているのか馬鹿にしているのかわからない評価を下した。素直?……って、どういう意味だろう。というか、初対面の莉奈に私の内面なんてわかるんだろうか。私が素直かどうかなんて、私自身にもわからないのに。
 莉奈はにこにこと満足そうに微笑んで私を見つめている。自分自身で下した評価をちっとも疑っていない様子だ。……というか、莉奈はきっと、何も考えてないのだ。深く考えずに私の性格をテキトーに評価している。私は相手のことをよく知らないうちから「素直そう」なんて無責任な評価はできない。相手にどう思われるか常に考えてしまうから。

「素直なんかじゃないです。彼氏が女友達と仲良くしてると嫉妬しちゃうタイプなので、めんどくさい女ですよ」

 莉奈の無責任さと奔放さに腹が立ち、同時に羨ましさを感じてしまった私は、きつい口調で反論した。そして、たった数秒後に自分の発言を後悔し始める。どうしよう。これはまさしく痛烈な嫌味じゃないか。空気が悪くなるかもしれない。というか、もう悪くなってるかも……

「わかるー! 私も!」

 私が恐怖で表情を凍りつかせたのと、莉奈が歓声に近い声を上げたのは同時だった。莉奈は私に向かって大袈裟に「わかる! 」を連発し、何度も頷く。そして、早口で続けた。
 
「私もけっこう嫉妬深いんだよね。それなのに潤也くんったら、わかってて私の前で女友達の話をするのよ。どうして男の人って、こんなに鈍いんだろうね? 私は何度も怒ってるのに、潤也くんはちっとも学習しないんだよ」

 莉奈が刺々しい口調で潤也への不満をぶちまけるのを、私は信じられない思いで聞いていた。軽い混乱状態に陥る。今の莉奈の言葉は、まさに私が大輝に対して感じている不満そのものだ。莉奈は「恋人に異性の親友がいる」という状況の複雑さや、嫉妬の感情を完璧に理解している。それなのに、大輝とは仲良くしている。どういうことだろう。
 そんなの、考えなくてもわかる。莉奈は、私の悩みや不満を理解していながら、私の気持ちなんか完全に無視しているのだ。大輝には私という彼女が居ると知りながら、そんなことはお構いなしに、大輝を平気で呼び出したり、ご飯に誘ったりしている。
 莉奈の隣に座っている潤也に視線を向けてみると、潤也は気まずそうに笑った。私にはそれが、申し訳なさそうな謝罪の微笑みに見えた。すぐに視線が逸らされる。私と潤也の一瞬の視線の交わりに莉奈が気付いた様子は無い。

「良かったー。由依ちゃんとは良い友達になれそう!」

 莉奈はひたすら私と仲良くなりましたアピールをしているけれど、私は確信していた。この女は、嫉妬の感情に鈍いだけの大輝とは違う。相手の感情をしっかり把握した上で、それを都合よく無視することができる女だ。
 助けを求めるつもりで大輝を見ると、彼は何故か、うっとりするような目つきで私と莉奈を見比べていた。

「莉奈と気が合ったみたいで嬉しいよ。俺の大切な人同士が仲良くなってくれるなんて夢みたいだ」

 大輝の発言がまったく的外れだったので、私はこの場に味方がいないことを思い知った。
 そういえば、この飲み会の目的ってなんだっけ? 私はどうしてこんな地獄みたいな場所にいるんだ?
 確かに私は、莉奈に会いたいと言った。大輝と莉奈の関係を認められないのは、私が莉奈に会ったことが無いからだ。私の知らない世界で大輝が盛り上がっているからモヤモヤするんだ。だから、私も莉奈に会って仲間に入れてもらえば、このモヤモヤした気持ちは解決するかもしれないと思った。でも、甘かったかもしれない。未だかつてないほどのモヤモヤが私の中に溜まっている。

「由依ちゃん。今度は2人でランチにでも行こうよ」

 莉奈の誘いに私が答えるより先に「おお! いいね! 」と、何故か大輝が返事をする。大輝の嬉しそうな横顔を目にすると断れるわけがなくて、私は曖昧な笑顔で頷く。
 きれいに染まっている莉奈のミルクティー色の髪が、照明にきらきら反射して輝いていた。

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