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「学歴」はいつまで私にくっついてくるの?

現在就活中。
企業に訪問しにいく中で社員さんの自己紹介を聞く時間がある。

「まずはさらっと私のプロフィールを紹介させてもらいます!!私、株式会社〇〇、人事部の△△と申します。??大学卒で、今社会人3年目です‼趣味はシュノーケリングで、、、」

こんな時、私は大学名を聞いたあたりからその先が頭に入っていない。

その大学名を聞いて有名大学だったら正直落ち込むし、自分と同じレベルくらいの大学だったら志望先の候補に入れる。

気に入った企業さんの中で自分と同じ大学卒の社員さんがいたときもあるけど、やはり人間はネガティブなことを記憶しやすいもの。何回か落ち込んで「検討リスト」からその企業を消した。

自分の中で何かをあきらめる尺度として「学歴」を使っていると気づいたとき、「何のために受験をしたんだ」と愕然とした自分がいた。

「なんのために受験したんだっけ」
高校生の時を思い出してみたけれど正直動機は不純だった気がする。

「大卒という名刺が欲しい、将来のビジョンが見えないから時間が欲しい、どこでもいいから大学に受かって親を安心させたい、、、、」

その時の私にとって、自分の考えられる未来というのはすぐ目先のことだけだった。

ただ、そんな動機でも当時の自分にとっては最重要なこと。
受験にこれ以上ないくらい向き合ったし、頑張った。
人生で一番つらい時期だった。
そして成績ギリギリで入った今の大学。自分にとってはベストな結果であり、努力が形になった物だった。

それがなぜ今足かせになっているのだろう。
なんでコンプレックスになっているんだろう。

自分なりに理由を記してみる。
理想と現実にギャップがあったから。
そもそもその理想を知らなければ、掲げなければよかった。
単純に大学行かないで高卒で働いてスキル身に着けた方が今の時代生き抜けるかもしれないって感じているから。
これらはとても安直な考えな気もする。自分以外の人に相談したいし、他人の意見も聞きたい。

だけどこの悩みを公言することはできない。
そもそも大学に失礼だし、行かせてくれてる親も悲しませるだろう。
同じ大学の友人の中には私の同じ状況の人もいるかもしれないし、相談できないだろうか。
ただ思い返すのは入学してすぐの一年生の時、レクリエーションで隣の席になった男の子との会話だ。


「オレ後期で入ってさー、前期?神戸大学!、、、まあねー。ほんとはこんなとこ来る予定じゃなかったんだけど(笑)滑り止めも落ちちゃってさ同志社受けたんだけど受験の当日インフルに、、、、」

自分が死ぬ気で入ったところはその子の言う「こんなところ」なんだと目の前が真っ暗になったのを覚えている。
当初はその子を嫌いになったし、そんな意見は少数派だと思っていた。だけど時が過ぎていくにつれ、一定数の友人が彼と同じ意見を持っていることに気づいてしまった。
自分の学歴がコンプレックスとなったのはこれが始まりだった。気がする。

だけど、まだ彼と話す前の一年生の私が友人の中にいるかもしれないから。
同じ思いはしてほしくない。
だから「学歴」の話は友人の前ではしないと決めたのだ。


このコンプレックスを自分でどうにかすることを決めた中で、やっぱり最初の解決方法としては「もっているカードで勝負する」という事だった。
今の環境だってすべての人間が経験できるものではないと。

だけどカースト文化を知ってしまあった以上この考え方も誰かを下に見ているようでなんか嫌だけど。

もう一つの解決方法としては「学歴」が問われない世界に飛び込むことだ。
就活で言えばクリエイティブな職業なら私も頂点を目指せるかもしれない。
だけどそんな縄をわたるようなこと、多額の奨学金を抱えたままできないです。

文句ばかりでごめんなさい。
とにかく分かったのは試行錯誤、努力を続ける必要があるということ。

でもいつまでつづくんだろうなぁ。



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