旧すかいらーくの和風ハンバーグに思いを馳せ…。
※写真はネットから拝借させていただきました。
こんにちは、徒歩です。
皆様お元気でしょうか?
なんか、暑くて溶けそうですね。
お子様がいるご家庭は、夏休みに入ったのかな。
入道雲が空に映える、いい季節になりましたね。
一方で、コロナの方は、ようやく一旦落ち着いたと安心した所で、今度は、BA5の大流行と。本当に勘弁してほしいです‥。
年のせいなのか、最近は昔の事を良く思い出したりします。
先日の、お昼過ぎ。久しぶりに、ファミレスに行って、ふと、昔の事を思い出し、和風ハンバーグを注文しました。
出てきたハンバーグは、(お店も違うので)昔のハンバーグとは、違うハンバーグですが、サイズは同じ位だったかな?(150g位?)
そこで、思った事。
意外と小ちゃいなぁ…。と。
少し、感傷的になってしまいました。
なぜか…。
今回は、その昔、どこの家庭にもあったのではないでしょうか?特に何でもない所の、何でもない話を書いて行こうと思います。
僕は、地方在住なんですが、僕の小さい頃、家族(両親、僕、妹)で月に一度くらいの割合で、外食に行ったりしました。
僕の家の近くに、今は無くなってしまいましたが、“すかいらーく”というファミレスがあり、そこへ週末の夕方に夕食を食べに行ったものです。
※すかいらーくは、今のガストの母体のファミレスです。(ガストよりちょっと価格は高め。)知ってる人も多いかな?
地元の“すかいらーく”は、大きな幹線道路沿いにあり、お店の裏側に駐車場がありました。
車が駐車場に着き、車を降りて、お店の方へ目をやると、店の裏越しの、夕闇が迫る空に、申し訳なさそうに光る“すかいらーく”のヒバリ(鳥)の看板が浮かんでいるのを、幼き僕は、駐車場から眺めていました。
店内に入ると、正面にレジがあり、レジ横には、子供用のお土産(おもちゃ等)コーナー、レジの前の受付のフロアには、両サイドに、待合用の椅子が並べられていました。
地方なので、特に待つ事はなく、直ぐにファミリー用のテーブル席に案内され、席に着きます。
テーブルには、フォークやナイフ、スプーン等の食器が入った、ふきんが敷いてある藤性の容器と、料理のメニュー、星占いをする様な機械が(一回100円位だったかな?)置いてあり、
幼き僕は、その機械をやってみたいと、何度か両親に懇願しましたが、もったいないから。と一蹴され、その後も、ついぞやる機会がありませんでした。
(今あったら、ちょっとやってみたいかな。)
(でも、もし僕に子供がいたら、子供には、もったいないから。って言うと思う。)
※お土産コーナーやら、星占いの機械やら、今の価値観では、無駄と思えるものが沢山ありましたね。でも、今でも覚えているって事は、あながち無駄ではなかったのかも…。
テーブルのメニューを開くと、洋食を中心に所謂、ファミレスメニューが季節物と一緒にラインナップされていました。
僕は、今は大丈夫なのですが、小さい頃は、生意気にも、好き嫌いがあり、チーズやバター、ミルク等の乳製品を使った料理(シチュー、グラタン等の所謂、白い料理系)がダメで、洋食中心のファミレスでは、食べられる物が限られていました。
そんな中で、王道に近く、子供が頼んでも、恥ずかしくないもの。(子供らしいもの)
そして、生意気にも美味しいと感じ、何度も注文した事がある、思い出のメニューが、和風ハンバーグです。
すかいらーくの和風ハンバーグは、ハンバーグの上に大葉と、大根おろしと、なめ茸が乗っており、サイドにキャロットグラッセ(甘く煮た人参)や、焼き茄子、フライドポテト、クレソン等の添え物がありました。
幼き僕には、これがご馳走でした。
家族の注文が決まり、店員さんに注文します。
食事が届くまでの間に、
暇つぶしに、家族で話をしたり、
ホールの方に目をやると、同級生も家族連れで来ていて、テーブル越しで、お互いに気付くと何か気恥ずかしい様な、気まずい感じになったり、
窓側の席で、幹線道路を車が走っていくのを意味もなく見ていたり、
その幹線道路沿いには、等間隔で電柱があり、当時はよく、地方興行のポスターが電柱に貼ってありました。
プロレス系のポスターが多かった様な気がします。
アジャコングやブル中野とか…。
そんな物を見ていたり。
もう頼んでいるのに、もう一度、メニューを見返してみたりと。
携帯電話なんか無い時代。
そんな事をしながら、時間を潰していた様な気がします。
そして、和風ハンバーグが到着し、醤油ソースをかけ、美味しくいただきます。
大葉と大根おろしと、なめ茸が醤油ソースに合い、いいアクセントになって、美味しかった様な気がします。
時折、両親の懐具合によって、食後のデザートも頼める時もありました。(小さいパフェとか、サンデーとか。)
これも、とても嬉しかった様に記憶しています。
そして、我が家では、夏休みの日に、2〜3日、子供だけで、じいちゃん、ばあちゃん家に泊まりに行く機会があったのですが、
その、明けの日に、すかいらーくに行く事もありました。
その明けの日に来た、すかいらーくでは、別れの際の寂しさと、お世話になった、じいちゃん、ばあちゃんの顔が浮かんで、
何に対する遠慮か分からないけれど、いつもは嬉しい、本当は頼みたい、食後のデザートを“今日はいいよ。”と、断っていた様に憶えています。
今思い返すと、この遠慮みたいな気持ちは、大きくなってからも続いていて、人生が思う様にいかなくなったり、人と衝突して、やけを起こしそうになった時もありましたが、この気持ちが、壊れそうな自分を、当時の自分に押しとどめてくれてくれていた様な気がします。
あれ?何が言いたかったんだっけ?
ハンバーグに、話を戻します。
ハンバーグの味は、今のファミレスとそう変わらないと思います。量も当時と同じ位でしょう。
しかし、それをご馳走と感じていた当時の僕と、
大きくなって、普段の日常で食べられる様になり、“こんなに小かったっけ?”と感じている今の自分。
あの頃と比べ、身体は大きくなりました。物理的に、小さいと感じるのは仕方がないとして、
それに加えて、精神的な幸せの大きさや、感度がずいぶんと鈍くなって、ハンバーグが、“小さく”なって見えているんじゃないか、
かつてのご馳走が、日常になってしまっている悲しみも含め、
随分と、欲の深い人間になってしまったなぁと、感じてしまいました。
生きていく上で、もっともっと、と言う欲は、必要です。無いと、成長もできませんし、生きてはいけません。
それを否定するつもりはありません。
しかし、折に触れ、自分は何に幸せを感じていたか、何を大切に考え感じていたか。
そして、そこからどれだけ遠ざかってしまったかを振り返ってみるのもいいんじゃないか。
そこから、今の生活の中で、見直さなければならないもの。今後、自分は、どこへ向かって何をしていくべきなのか、具体的に考える。
過去の自分から、今の自分へのメッセージを受けとってあげる。いいきっかけにしてみるのも、いいんじゃないかとふと思いました。
あと、出来れば、(店がなくなり)もう食べられないけど、もう一度、“すかいらーく”の和風ハンバーグが食べてみたいなぁ…。と。
そんな事をふと考えた、どうしようもない男の、情けない一日でした。
※それでは、今日も良い一日でありますよう。
社会の片隅から、徒歩より。
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