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田舎のクソみたいな家で生活してるけどもう限界。前編

タイトルの通りの話。

田舎っていうとほとんどの人は長閑な風景に優しい人たち、ゆったりと時間が流れているのを想像するだろう。
実際は全て真逆だと思う。
ゆったりと時間なんか流れちゃいない。一分一秒をこせこせと動き回り毎日を訳も分からないまま生きている。殺風景な田舎故買い物に出かければ知り合うに嫌でも会う。
どこそこの家の誰それが……
あそこの家の誰だかが……

ヒソヒソこそこそ。

田舎にある年寄りの唯一の娯楽が人の噂である。
何が楽しいのが私にはさっぱり分からない。他人と前ならえが出来ない人は後ろ指を刺されヒソヒソクスクスされて生活していくしかないクソ田舎。

例に漏れず実家もそんな所にある。

いつまでもあの世に逝けない祖母、そんな祖母に愛想を尽かし自分一人で逝った祖父、残された祖母の我儘、意地悪を知らないフリする父とそんな我儘と意地悪に腹を立てながら文句を言いつつ世話をする母。
そんな父と母の間に産まれた私。の上には兄が三人もいる。世話好きの母のおかげで男どもは何も出来ない。自分のご飯を用意することすら出来ず、時には暴力で全てを解決というか、言いなりにさせる三男と上記両親、祖母、そして私の子と生活をしているが、流石にもう限界である。

そう、死にたい。
いや違う。この世から消えたい。
産後から鬱の気配がひっそりと歩み寄ってきていたのを知らないフリしていたツケが今回ってきた。

そんな私の話を否定しないで適当に聞いて欲しい。
ほんとマジでお願い。聞いて欲しい。
適当に書いていくから、適当に酒でも煽りながら読んでくれると嬉しい。

どこから話をすればいいんだろうか。
とりあえず去年の夏、妊娠が発覚した。付き合ってはない人だった。案の定逃げられた。というか俺の子じゃないという陳腐なセリフに嫌気がさして連絡をするのを辞めた。
その次に母に孫が欲しいかと聞いたらそりゃ欲しいなというもんだから、そうかと頷いて自分の中では今後無いだろうと思っていた事なので、産むことにした。それなりに大変だろうが、何とかなるだろうと思っていた。まぁ、それが間違いだったのだがそれには気付けなかった。
母には早く父に言いなよと言われたが、なかなか勇気がなく、というか認めてくれなそうだと思っていたのでそれを母にいうと「長男が出来ちゃってから結婚したんだから、そんな事責めること言わないと思うし、喜ぶと思うよ」と言われついうっかり信じきって、勇気を振り絞った結果、自然と涙が出て上手く喋れなかった。
父から返ってきた言葉には驚いた。

「相手のことを未だに好きなら産んでもいいと思うけど、そうじゃないならやめなさい。」

子供を産むのが女の幸せなんだと散々言って聞かせてきた父の言葉に驚いた。
驚いてなんの反応も出来ないままでいると続けざまにこう言った。

「まぁ、どっちにしてもよく考えなさい。お父さんはおろした方がいいと思う。」

そう言って温くなったお茶を啜り、報告は終わった。そのあとどうやって一人暮らしをしていたアパートに帰ったか覚えていないが、反対したことに母は怒り狂っていたし、三男も「お前が良いならお父さんの意見なんか聞かないで産めよ」と言ってくれた。

その後悪阻と戦っていると母から一通のラインが入った。

「家族会議をしました。産む条件としては実家に帰ることだそうです。」

産む条件とは。
これを拒んだらどうなるんだろうかと思いながらそれに従うことにした。その頃はまだ二男も実家にいたので私の部屋がない、と言うこともあり二男は当時お付き合いをしていた人と同棲する、と言って家を出てくれた。
こんな出来損ないの妹のために申し訳ない気持ちで押し潰されそうだった。二男を追い出した事に変わりは無いからだ。
それが決まってから二男にはごめんねとLINEを入れるといい機会だった、体に気をつけるようにと優しい言葉をくれたが、まんまと幸せ太りしたのはまた後日。

実家に帰りまず初めにしたのは兄のいた部屋の掃除だ。要らないものを倉庫にいれ、自分の荷物を部屋に入れるあれだ。

余談だが母が仕事に行っている間、自分の巣を整えていると三男が慌てて部屋へとやって来てお前はバカかと怒られたことがある。なんだよ、と聞けば妊婦なんだから重いものを持つなら俺を呼べ(要約)ということらしい。こいつ、キレると手に負えないがそうじゃないときは優しいんだった。そんな三男に礼を言って合間に家事をして毎日を過ごしていた。

そんなある日、やだなと思う出来事が浮上する。
まず、家は21時以降に風呂に入るとトイレに起きてきた祖母が勿体ないとボイラーを消してしまう。ボイラーを消されるとどうなるか。お湯が出ないのである。これは私も食らったことがあるが、冬の夜にそれをやるというクソ具合に家族は1人では風呂に入らないようにしようと暗黙の了解になった。
それが原因で母が風呂に入り翌朝のご飯を予約炊飯するまで私は道連れに起きていけないといけない。

妊娠中の眠気と戦いながら母は夕飯時に酒を飲むため、夕飯の片付けをすると少し寝る。コタツのおかげでそれはそれはスヤスヤと健やかに寝る。何度起こしてもあと5分が続き、痺れを切らした私が翌朝のご飯を磨ぎセットすることが増えた。それすらやれば寝かせてくれるだろうと思ったら「妊婦だから甘えやがって」と遠回しに言われた。びっくりした。
けど仕事をしてきて帰宅したら18時までに祖母に夕飯を出さなければならない我が家のルールのせいでてんてこ舞いの母からしたらこう言いたくなるのも分かるな、と極力出来ることはしていた。
仕事もクビになってしまったこともあり、食わせて貰ってるんだからな、と自分に言い聞かせて毎日せっせとコインランドリーに洗濯物を乾かしに行ったらそれを畳み片付け、部屋の片付けをして母が仕事から帰宅する前に風呂を沸かし、愛犬の散歩に行って、としているうちに母が帰宅して夕飯を作り長年の嫁いびりの末、嫌われた祖母にご飯を運ぶのは私の仕事だ。

三男や二男からは世話係と指を刺され笑われているのは今もだが、私はそんなバカに時間を割くために生きてるんじゃないと思って言われる度に傷ついている。きっと兄たちは死ぬまでそれを知らないだろう。

それと祖母が風呂場で小便を垂れるのだ。
まぁ、歳も歳だしと思うが、風呂に入る前にトイレに行って出し切ってから風呂に入れと思うが、祖母は世界で一番自分が偉いと思っているせいでこちらが指摘すると怒鳴り散らし泣いて自殺未遂をして寝込むのだ。

そんなちょっとした騒動を起こされるのもたまったもんじゃない、我々が内々で綺麗にしたらいいとなり風呂を掃除している私が祖母の後に風呂に強制的に入らされてあの窓もぴっちりと閉められ小便の匂いが漂う風呂場へ押し込まれるのだ。
ぶっちゃけ家族は私が何も反抗しないで仕方ないと動いてくれるから小間使いのようにしている所はあると思う。なのでこっちが怒っても何も怖くないのだ。最年少がキレた所でそれなりに揉まれて来た人達は怖いことないらしい。
そんなことで色々と押し付けられた私は断れない性格になってしまい、毎晩毎晩今日まで風呂を一日二度掃除することになっている。
これは父も知っていて知らないふりをしている事が一番腹が立っている。お前の母親なんだからお前一人でどうにかしろよと毎回思っているが、言えない。だって面倒だから。

このことを誰に言っても仕方ないで終わるのも腹が立つ。本当に仕方の無いことなんだろうか。ちなみに浴槽にはトイレットペーパーがふよふよとしているし、祖母の髪の毛やワタボコリもふよふよしている。そんな汚い浴槽にお湯を継ぎ足しそれを流すのも私の役目だ。
何故トイレットペーパーが浮かんでいるのか。それは祖母が股にトイレットペーパーを挟んでいるからである。尿取りを使えと思うが、自分や家に金を使わないバカはそれすらも買えないらしい。知ったこっちゃない。買え。うるせぇ、黙って買え。と思う今日この頃。因みにトイレットペーパーの消費も激しい。きっと祖母が他界したら家の消耗品の消費頻度は下がるだろう。

細々と色んなことがあったが忘れた。他人からしたらそんな生活耐えられないとよく言われるが、産まれた時からこのドレイ体質なので何がおかしいのか分からなかったのはいい思い出だ。

そんなこんながあり三月の頭、検診に行っていつでも生まれるよなんて言われたその日の夜。なんだか腹が痛い。まぁ、今までもあったし寝れば治ると寝たところ、朝方に腹痛で目が覚めた。
あれ?これはおかしいと時間を計るとまぁ15分感覚では無いか。たしかあの日は土曜日の朝。父は犬の散歩に行っていて、母は出勤前だった。リビングに顔を出し母に腹が痛い、15分感覚だというと早く病院に電話しろと叱咤され私が病院に電話しているうちに母は父に電話をして戻ってきてもらった。イッヌ、大好きな散歩を中断させてすまんかったなと思いながら、おろせ発言後父が生理的に無理になった私は母に縋り着いた。

「お母さん仕事でしょ?それなら私一人で病院行くから大丈夫!」
「は?あんた馬鹿じゃないの!今お父さん来るから!入院セット持って!診察券も財布も!ほら!お父さん来たから!行ってもらって!」

めちゃくちゃ怒られた。クソ((゚Д゚ メ )と思いながら痛む腹を別に痛くないっすと顔をして助手席に乗り込み呑気に病院まで送ってもらった。
病院に着くと入院セットを担ぎこんちはと現れた私に看護師さんたちは二度見して「ほんとに痛いの?ほんとに?」と何度も聞かれて持っていたバッグは看護師さんが持ってくれた。あー、痛いっすねと最初こそ笑って居たが次第に強くなる陣痛、モニターを見た看護師はマジで痛いんじゃん!と驚き分娩室に案内されて出産が始まる。
付き添いの居ない私に看護師さん?なのか分からないがそんな感じの人は優しかった。背中をさすり頑張れ頑張れと励ましてくれた。
いざ出産が始まると痛すぎてヤダヤダ、もう無理と泣き叫ぶ私を大丈夫だから、もう頭が出てきてるからね、安心してねと言われ6時間ほどで出産が終わりぼけっとする私の横に息子を置いて看護師さんは産まれたばかりの息子の写真を撮ってくれた。それを見ている私の写真も撮ってくれたが、色々と酷すぎて消した。

私はこの世で1番醜いんだと思い込んでいる。
一番醜いし馬鹿でどうしようも無いニンゲンもどきである。
自己肯定感なんぞは無い。いつも申し訳ないと思って生きてきた。
産まれた息子はベイビーヨーダにそっくりである。それを笑って言うと看護師さんに怒られたが、今でも写真を見ると、ベイビーヨーダである。

その後は部屋に案内され寝てくださいと言われたのに産後ハイで寝れなかった。3日後には母子同室になると言われたが、色々と不安の塊だった。産まれたばかりの我が子を見て可愛いと思えなかったのだ。おぉ、人を産んだなと思っただけだった。

病室では寝ていることを言われた私だが家にいた時は何かしらしてないとブチブチ言われていたこともあり、看護師さんが来る度起き上がっていたら流石に怒られた。未だに思い出すがあれは何とも言えない気持ちになる。

まぁ、そんな事があって実家に帰る日。
看護師さんにこれからどうしたらいいんだと聞きながら泣いた。すると看護師さんは私もシングルマザーで何とかなってきた。仕事も何とかなった。あなたは実家にいられるんだから大丈夫。これからも何とかなるし、生きてさえいれば何とかなる。限界を迎えたら子供と家を出なさい。と言われて頷いた。
母が迎えに来てくれてチャイルドシートも何も用意出来てなかった我が家はそのまま必要最低限のものを買って帰った。

帰ると父には「お疲れ様でした。ありがとう」と言われたが意味が分からなかった。あぁ、うんとしか言えなかった。まだまだ小さい我が子を見て嬉しそうな父を見る度、あんなに産むことを反対したくせにと思う。これは未だにそう思う。

我が家は一気に賑やかになった。
祖母には産まれるまで私が妊娠していることは言ってなかったので文句のひとつでも言われると思った。

今の流行りだから仕方ないなと言われた。
出産に流行り廃りがあるのかと思ったが馬鹿の言うことだ。知らないふりを決め込んだ。

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