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自分の取り分を少なくすることで、すべてがうまくいく―『呻吟語』の「争わない生き方」

利益や名誉はまわりの人々にも分けてやる

「争わない生き方」をテーマにしたオンラインセミナーを11月8日に開催します。
無料で、入退出の制限もありません。関心を抱かれましたら、どうぞご参加ください。

先人の知恵に学ぶ、「争わない生き方」。
取り上げる中国古典は、『呻吟語(しんぎんご)』、『菜根譚(さいこんたん)』、そして『論語(ろんご)』、『老子(ろうし)』です。

テーマに沿って、セミナーのコンテンツに関することを書いています。前回に続き、『呻吟語』の「争わない生き方」の話です。

『菜根譚』にも同じ趣旨の戒めの言葉がありましたが、名誉と利益は独り占めしてはいけない、ということです。理由と、それを改めることによっていたる境地について、論理的に説いています。それをみていきましょう。

人格の完成には万全を期さなければならない。
だが、名誉や利益については、自分一人で独占しようとしてはならない。常に、まわりの人々にも分けてやる必要がある。
自分の取り分が少なくなったところで、いっこうに差し支えない。

なぜだろうか。
この世の中には、人も自分も、ともに満足するということはありえない。
自分が利益を得れば、必ず損失をこうむる人がいるし、自分が名誉を手にすれば、必ず悔しい思いをする人がいるからだ。

著者の呂新吾は、常に、まわりの人々にも分けてやる必要がある。自分の取り分が少なくなったところで、いっこうに差し支えないではないか、と説いています。
頑張ったことは、十分に評価されたい。それに見合う報酬もほしい。それが人の本心です。

しかし、自分の願望をかなえる過程で、多くの人たちに支えらえたことで、それを手に入れることができているわけです。
一方で損失をこうむったり、悔しい思いをしている人がいます。
その人たちは少なからず、あなたを怨ましいく思っている。

あなたが相手との利益を巡る因果関係について強く認識はしていないかもしませんが、実は相手はその思いをつのらせて、やがて邪魔をする、足を引っ張る存在へとかわっていく。
そういう不用意な争いが生じるのを避けるには、どうすべか。
呂新吾は、人の上に立つ人のあり方をモデルに、そのあり方を明快に語っています。

に立つ人をみればわかることだが、徳は積むことには熱心で、名声は人に譲り、利益は独り占めせず人にも同じように分け与えるし、おれが、おれがと、しゃしゃり出るようなまねもしない。
だから、心のなかはいつも満ち足りているのである。

呂新吾にとって、その理想の人物は、徳をもとにする生き方を説き続けた孔子でした。

孔子は常に謙虚な態度で、平凡な人と同じように振る舞った。
こういうところに、深い味わいがあるのだ。

読み下し文です。

人(ひと)と做(な)るには箇(か)の万全(ばんぜん)と做(な)らんことを要(よう)す。名利(めいり)の地歩(ちほ)に至(いた)りては、十分(じゅうぶん)に占(し)め尽(つ)くさんことを要(よう)する休(な)かれ。常(つね)に大家(たいか)に分(わ)け与(あた)えんことを要(よう)す。就(たと)い些(いささ)かの缺綻(けつたん)を帯(お)ぶるも妨(さまた)げず。
何(なん)ぞや。
天下(てんか)には人(ひと)と己(おのれ)と倶(とも)に遂(と)ぐるの事(こと)なく、我(われ)得(う)れば人(ひと)必(かなら)ず失(うしな)い、我(われ)利(り)あれば人(ひと)必(かなら)ず害(がい)あり、我(われ)栄(えい)あれば人(ひと)必(かなら)ず辱(じょく)あり、我(われ)美名(びめい)あれば、人(ひと)必(かなら)ず媿色(きしょく)あればなり。
ここを以(も)って君子(くんし)は徳(とく)を貪(むさぼ)りて名(な)を譲(ゆず)り、完(まった)きを辞(じ)して缺(か)けたるに処(お)り、人(ひと)と我(われ)とをして一般(いっぱん)ならしめ、暁暁(ぎょうぎょう)として頭角(とうかく)を露(あら)わし標臬(ひょうげつ)を立(た)てず、而(しか)して胸中(きょうちゅう)には自(おの)ずから無限(むげん)の楽(たの)しみあり。
孔子(こうし)は己(おのれ)を謙(けん)し、嘗(つね)に自(みずか)ら尋常(じんじょう)の人(ひと)に附(つ)く。この中(なか)に極(きわ)めて意趣(いしゅ)あり。  

『呻吟語』呂新吾著 守屋洋編・訳

人が陥りがちな「三つのねたむ心」

このこと、立場を変えてみるとどうなるか。
人が羨む、嫉妬する心情に駆られる動機についても、呂新吾は考察しています。人の心理を考えるうえで参考になるので、みてましょう。

自分にはろくな能力もないくせに、能力のある相手と張り合ってしまう。それが高じて、相手を陥れようとする。
自分は悪事をはたらいていながら、他人の善行によって成功していることを目の敵にする。それが高じて、相手を非難する。
自分が貧しい境遇にあることから、他人の富貴をうらやむ。それが高じて、相手の足を引っ張ろうとする。
この三つのねたむ心は、人間の大きな欠点である。

 人生、浮き沈みがあるなかで、意図に反していつ立場が逆転するかわかりません。恵まれない境遇になったときに、成功している人を怨むな、というのは、無理な話かもしれません。

 ただ、自分が不幸だからといって、人をうらやんでいるだけではなんの解決にもなりません。まして、その恨みを晴らそうとして係争へと突き進んでも、そこには幸せな結末は待っていない。そのように思います。

読み下し文です。

己(おのれ)、才(さい)なくして能(のう)に譲(ゆず)らず、甚(はなは)だしきは則(すなわ)ちこれを害(がい)す。
己(おのれ)、悪(あく)を為(な)して人(ひと)の善(ぜん)を為(な)すを悪(にく)み、甚(はなは)だしきは則(すなわ)ちこれを誣(し)う。
己(おのれ)、貧賎(ひんせん)にして人(ひと)の富(ふう)貴(き)を悪(にく)み、甚(はなは)だしきは則(すなわ)ちこれを傾(かたむ)く。
この三)妬(さんと)は、人(ひと)の大戮(たいりく)なり。

 『呻吟語』呂新吾著 守屋洋編・訳 

 引き続き、『呻吟語』呂新吾の「争わない生き方」をみていきます。


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