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お金もモノもあの世へ持っていけない。持っていけるのは、心だけ―『呻吟語』

あの世へは一つとして物を身につけていくことはできない

 いくつになっても、夢をかなえるための準備と努力にエネルギーを傾けたい。そのためには、カラダのメンテナンスは欠かせない。数年前から始めたヨガのレッスンは、これからも続けていく。「人間力」講師の仕事も、研鑽を積んで、もっと世の中に貢献していきたい。

 50代の頃にはココロもカラダもかなり傷ついていました。このまま人生が萎んで、終わってしまうのではないか。
 そんな心境になったこと思うと、老いの波を止めることはできないけれど、自分のやりたいことあきらめずに生きていきたい。
 
 もちろん、死はいずれやってきます。そして避けることができません。
そのことへの覚悟、心構えとして、こんな言葉に触れて、考えさせられました。

「臨終の際、あの世へは一つとして物を身につけていくことはできない。
 ただ、心だけを持っていくのに、それをみずから壊してしまっている。
 これでは、何も身をつけずにあの世に帰っていくことになる。永遠に取返しのつかない恨みというべきだ」

『呻吟語』 湯浅邦弘先生訳

 あの世があるとすれば、持っていけるのは、ただ一つ、その人の「心」。
 それなのに、明日の不安におびえ、あるいは恵まれない生活に転落することをおそれて、「物」や「お金」に執着しているのが、現実です。

 安穏な状態から遠ざかっていき、自分そのものである「心」を失っているのではないか、と問いかけられているようです。

ホスピスで最期を迎えたふたりの人生

 ホスピスで多くの患者を看取っている先生が、あるところでこんな話をされていました。
 前後してふたりの患者さん看取ったとき、その最期がとても対照的だったというのです。
 
 これまでの人生を振り返り、家族や関係者に感謝していた方は、がんの痛みがなくなると苦痛が消え、満たされた気持ちで逝っていきました。
 
 現役の経営者だった方は、まだやり残したことがある、とこの世への執着を断ち切れなく、がんの痛みだけでなく、心の痛みを取り除くことができないまま、亡くなられました。

 どんなに栄達を遂げ、どんなに富を手にしても、これまでの人生に満足できず、自分を支えてくれた人たちへの感謝の念がわかず、この世への執着を断ち切れずにいると、幸福を感じることができずに人生を終えてしまうことになります。

 それはそうですが……。
 現実への執着を減らし、ストイックな生活を送ることが人生の終着点である、決めつけなくていいのではないか、とも思います。
 かなえたい夢をいつまでも描き続け、その実現のために必要な人とのつながりが続き、最低限のお金の備えがあるにこしたことはありません。
 問題は、「夢」と「執着」との境界線を取り違えないことではないでしょうか。

 空港の手荷物検査場を通過するときのように、自分では身のまわりものを整理して、そこに向かうのですが、通過する前は、何かを身につけているし、荷物も携えている。
 正から死への境界は、身一つで通過する。
 そして、それを通り抜けたときには、手に手荷物検査場とは違って、手放したものは何一つ手元に戻ってこないのです。
 
 そうなったときにも、幸せを感じることができる「心」を、持ち続けていきたいですね。


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