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「可もなく不可もなし」。不条理な世の中を生き抜く孔子のヒント―『論語』

「可もなく不可もなく」の元々の意味

「特によくもないけど、悪くもないね」。
「普通だね、平凡だね」。
 そういうニュアンスのときに、何気なくこういう言い方をしています。
「可もなく不可もなし」。

 元々の意味は、現代のそれとはちょっと違っていました。
 ルーツは『論語』です。
 古代中国において、自分の意志を貫いて生きた人の生き方について、孔子が語った言葉から来ています。

 世の中のもろもろのことが不条理なのは、いまも昔もかわりません。
 古代の中国でも、現世に見切りをつけ隠遁生活を送った人もいれば、逆境を耐え抜いた人もいました。その生き方について孔子があれこれと語った後に、自分の心情はこうだね、と述べたのが、「可もなく不可もなし」です。

 ある生き方だけをよいともしないし、ある生き方をだめだともしない。

 不条理な世の中を前にして、信念や生き方を貫いた人のことを、『論語』では「逸民(いつみん)」と称しています。「逸民」とは、知識階級に属しながら政治の世界を俗として仕官せず,民間に隠れて高潔に生きる人たちのこと。

 そうした生き方を貫いた代表が、伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)、柳下恵(ゆうかけい)と少連(しょうれん)、そして虞仲(ぐちゅう)・夷逸(いいつ)でした。(もう一人名前を挙げていながら、その人物については孔子が一言も触れていないので、ここでは割愛します)。

 彼らが世の中の不条理に対して、どういう生き方をしたのか、そこにフォーカスして読んでみましょう。

不条理な世の中に異を唱えた人たち

「逸民」6人に対する孔子の評価は――。

  • 故国を捨て、亡命。亡命先の君主にも失望して隠遁。餓死した兄弟に対する評価

 「あくまでも志をまげず、身を辱かしめなかったのは、伯夷と叔斉であろう」。

  • 3度もクビになりながら、母国に仕えた人物ほかに対する評価

 柳下恵と少連とについては、つぎのようにいわれた。
「志をまげ、身を辱しめて仕えたこともあったが、言うことはあくまでも人倫の道にかなっていたし、行動にも筋道が立っていた。二人はその点だけで、十分立派だ」・

  • 母国を捨て隠遁しながらも政治批判をしていた人物(詳細不明)に対する評価

 虞仲と夷逸については、つぎのようにいわれた。
「隠遁して無遠慮な放言ばかりしていたが、しかし一身を守ることは清かったし、世を捨てたのは時宜に適した道だったと言えるだろう」

*虞仲について 
周王朝の文王の伯父。文王の祖父、古こ公こう亶たん父ぽには三人の息子がおり、長男は泰伯、次男は虞仲、三男は季歴(文王の父)という。古公亶父は季歴を後継者にと考えていたので、泰伯と虞仲は父の意を汲んで荊蛮(けいばん=南方の楚や越の地)へ出奔した。

 このように6人に対する評価を述べたあとで、孔子はこういうのです。

 私は、こうした人たちとはちがう。
 はじめから隠遁がいいとかわるいとかを決めてかかるような、ある生き方だけをよいともしないし、ある生き方をだめだともしない。

 言い換えれば、「いかなるときでも、極端に走らず、調和のとれた状態でありたい」。つまり、「中庸(ちゅうよう)」でありたい、ということです。

「可もなく不可もなく」。
それが転じて、現在では、「よくも悪くもない」という意味で使われようになった、とのこと。
 

 

不正が行われている組織風土にいたら、どうする?

 不条理な世の中から距離を置いて、隠遁する生き方をする人たち。『論語』では「隠者」呼ばれていますが、『老子』の思想の実践者ともいえる人たちで、理想の世界に身を置いている、と言えるかもしれません。

 しかし、孔子は違いました。
 現実社会が不条理であっても、そのなかで人として生きる道を踏み外さない生き方を追い求めることを理想としていた。言い換えると、社会や現実と折り合いながら、理想を追い求めることをあきらめなかった。

 なので、隠遁することも、ましてや自分の生命を絶つことも、それは自分が追い求める生き方ではないのです。

 さて。
 現代のビジネス社会において考えると、どうでしょうか。

 たとえば、検査データや就労データの改ざんに関わっている。当事者ではないにしても、属する事業所で組織的に不正が行われている。それを組織的に浄化するには、どうしたらいいのか。

  1.  内部告発をする。それが受け入れられず、自分の立場が危うくなるリスクもある。

  2.  周囲や上司と協力して、仕事の仕組みや組織風土の改善を目指す。

  3. この組織は腐っていると見切りをつけて転職する。

 このリストでいえば、孔子の考え方は「2」を目指していた、いうことになるのかもしれません。
 実際にそれを行動に移したときに、理解者や協力者は多くは現れなかった。それでも、現実と折り合いながら、理想を追い求めることをあきらめずに生きていきたい。
 そういう孔子の声が聞こえてきそうです。

 最後に読み下し文を。

逸民(いつみん)には、伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)・虞仲(ぐちゅう)・夷逸(いいつ)・朱張(しゅちょう)・柳下恵(りゅうかけい)・少連(しょうれん)あり。
子(し)曰(いわ)く、
その志を降くださず、その身を辱(はづか)しめざるは、伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)か。
柳下恵(りゅうかけい)・少連(しょうれん)を謂いう。志(こころざし)を降(くだ)し身(み)を辱(はずか)しむるも、言(げん)は倫(りん)に中あたり、行(おこな)いは慮(りょ)に中(あた)る。それこれのみ。
虞仲(ぐちゅう)・夷逸(いいつ)を謂いう。隠居(いんきょ)して放言(ほうげん)し、身(み)は清(せい)に中(あた)り、廃(はい)は権(けん)に中(あた)る。
我(われ)はすなわちこれに異(こと)なり。可かも無なく、不可も無なし。

『論語』微子篇

 孔子が「逸民」と称した人物の生き方がどんなであったのか。

 柳下恵の生き方について孔子が述べたことばについては、次の投稿をご参照ください。
https://note.com/lively_murre111/n/nec65e8641b4e

 伯夷と叔斉、そして柳下恵の生き方を、鎌倉・円覚寺の横田南嶺管長が法話(講話)でわかりやすく解説されていて、とても参考になります。
https://www.engakuji.or.jp/blog/34267/


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