利用される優しさ
生きづらい、愚痴が止まらない。
このような人に対して「そのままでいいよ」
「十分頑張ってるよ」は、機嫌取りの道具として利用されやすくなります。
感情の掃き溜め
一時のストレスをぶつけるたび寄り添うと、相手は快楽状態となり、気づけば何度も同じ要求をします。
つまり、寄ってくれるだろうと計算しているからできるのです。
本当に回復したいなら、既に何らかの計画を立てて行動を起こします。
だけど、動かないということは回復を望んでいないということ。
そうしたら、優しくされる機会を失う・・
大人になれば、自分を満たすのは自分になります。
ですが、それをわざわざ他人に求めるということは、精神面において子供のままです。
これはほぼ子育て。
さらに、どう尽くしても終わりが見えない。
わたしから見て、時間もエネルギーも無駄に削っているように思えます。
結局のところ、誰のためにもならない共依存という関係です。
リアルな人間関係、このnoteやSNS上の人間関係ともに存在する歪な関係性。
これに気づく人は稀なのかもしれない。
ですが気づけば、失われた時間を回収するように動くので、心の回復は早いだろうと期待できます。
大人は経験がある分の知識を持つので、
精神面は子供でも思考面は大人。
そのような人には、手が届くか届かないかの微妙な距離で接するのが、個人的には最適のように思えます。
(もちろん理想は離れること)
note内の人間関係を観察すると、
「どうしてそこまで・・」と思うものの、
本人がそれで納得するならこちらは受け入れるのみです。
他人は自分好みにコントロールはできない。自分もされたくないし、そもそもする権利もない。
そう受け止めた上で、わたしは自分のために自分の「好き」を与えて、貴重な時間を大切に使い続けていきたいです。
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