ネガティブ依存は未来を閉ざす
過去の傷つき体験が強烈に記憶される。
それがトラウマ。
当時は被害を受けた自分に非はない。
でも、その記憶を数年先にまで持ち込むと決めたのは、大人になった現在の自分。
だから、半分は自己責任。
これは、わたしのことでもあります。
去年までがそうでした。
自分の心を踏みにじった当時にいた相手の人格を、目の前にいる別の人間に重ねる。
そうすることで、極力傷つかないような言葉選びをしたり、近づかないようにという守りに徹しました。
当時はこれが自分にとっての最善策と信じて疑いませんでした。
しかし、その行為が相手に対して失礼だったと気づきます。
なぜなら、自分以外の人は悪人だろうと決めつけていたから。
しかも、自分より優れている(ように見える)人に対して。
そうでないと判断した人には心の中で雑魚扱いしました。
弱い見かけをした当時のわたしの心はこんな風に汚れていました。
何年も前の出来事が起源の悩みを現在、未来にまで持ち込むと動きを硬直化させます。
信頼できる人と関わる時間、成長に繋がる体験、それらによって得るであろう望む未来の可能性も皆取りこぼします。
そして招くのは孤立という最悪の未来。
ひとりの寂しさを取るか、誰かといる煩わしさを取るか。
この2つを裏返すと、「楽」と「楽しい」になります。
字は同じでもその中身は違います。
楽は苦痛がないかわりに、寂しさや虚しさを味わう。
楽しいは同時に責任も伴い、それゆえの苦痛も味わう。(自分から楽しませることも必要だから)
でも、常に向き合い学び続けることで、その楽しいは量産され、あらゆる面の豊さを実現できるだろう。現在に生きるわたし自身がそう信じています。
ネガティブ依存はこれ以上傷口を広げないための対症療法的なもの。でも、塞ぐことはできない。その傷を抱えたまま生きることは、望む未来を自ら閉ざすことになる。
ようやく、この深刻さに気づいたのです。
わたしはずっと何の解決にもならないことに時間を使い続けましたが、カウンセリングをきっかけに人生の棚卸しをスタートさせ、
それに続いて人生を変えるコミュニティとnoteに移ってから、問題の徹底深掘りに集中しました。
おかげですべての根元を見つけ、その関連性も理解できた。これらを参考データ化して、人生の改革に役立てる。
いまは、効率良く作業できるものとしてそのネガティブを利用しています。
ネガティブも使いようによっては役立つ。
こうして、わたし独自のサクセスストーリー作りが続いています。
この記事もそう、またひとつ納得のいく作品作りができた感覚です。
そう、豊かな未来へ繋ぐ大切な作品。
これがわたしのnoteです。