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”温度差”はあっていい

好きな誰かと仲良くと言っても、すべてわかり合える関係性など存在しない。
認識としては浸透しているはずです。

しかし、”わかり合える”という幻想にも似た思考を強要する人は、思ってる以上に多くいるでしょう。
例えば、自分がいま抱える感情を理解してもらえたけど、共感してもらえなかったこと。

そもそも、共感を欲しがるのはなぜ?
欲しいものを相手からいただくかわりに、その後の自分はどうするのか?

このあたりを考えるつもりがないなら、
(現在のわたしから見て)それは感情泥棒であり、時間泥棒でもあります。

他人の感情はコントロールできない。
これは、社会で生きていくにおいて大前提。
その守るべき枠を越えるということは、相手の人格を(そんなつもりがなくても)無視しているということです。

リアル・ネット(noteを含む)
好きな誰かとの一体感は、互いが同じ目的を軸にした意思疎通ができた場合にのみ成立するもの。
個人的にはそう結論付けます。

中には、必要以上に自分との一体感を求める人たちもいますが、そこにこだわらず、多少の違いはせめて理解という形で受け止める。
これで、相手に負担をかけない程度の一体感ではない温度感を保てるはず。

わたしはそのようなスタンスで、そこにいる”誰か”と関わりたいなと思ってます。

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トモ@noteクリエイター3年目
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。 ”サクセスストーリーの創作”はこれからも続きます!