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友達は”赤の他人”という事実

これを(感情レベルで)受け入れると、気持ちが楽になれます。

お互いに共通の関心事を引き出して、感情を共有する時間。
話したいことを存分に話し、相手に対して求める反応が実際に来ると、瞬時に心地良さが全身に行き渡ります。

ですが、相手は血の繋がりもない別の人間。
家族でもわかり合わないことがあるのに、自分への関心を友達に無理強いする人は、大人でも多いように思えます。

全面的に守られるつもりでいないか?
自分で自分の機嫌を取るのが難しく思う場面は誰にでもあるでしょう。
それでも友達を大切にする人は、現状を開示することはあっても、最終的には自分の力で解決するという意思を態度で示すもの。

個人的にはそう考えています。

守られる前提で付き合うということは、友達=便利屋という歪んだ固定観念を持っている。
それで付き合わされる友達は、関わるたびにエネルギーを吸い取られるのだから耐え難いはずです。

誰だって自分が第一。
だから都合の良い存在になどなりたくない。
わたしはありがたいことに人間関係に恵まれていますが、これはやはり、ひとりひとりが自由と尊重を軸に置いた関わり方をしてくださるおかげです。

出逢いは偶然という川の流れとともに訪れ、
そこからご縁という細くて脆い糸を繋ぐ。

この当たり前ではない奇跡を大切にするからこそ、成立・維持できるのではないかと思います。

どんなに仲が良くても、赤の他人である事実は変わらない。
冷たいようですが、事実を受け入れた上で感謝の気持ちとともにこれからも付き合う。

そして、何らかの事情があってお別れするときは、静かに受け入れる。
このマインドは、わたし自身忘れずにいたいことのひとつです。

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トモ@noteクリエイター2年目
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。 ”サクセスストーリーの創作”はこれからも続きます!