noteにおいての人選び⑥
1記事に既存の情報を大量に詰め込む人。
note巡りの最中ちょこちょこ見かけます。
テキストという狭い部屋にここまで・・
わたしだったら、頭がフル回転状態になって挫折します。
そんなわたしも時に既存の情報を書くことはありますが、あくまで自分の体験をベースに記事を完成させてそのまま出します。
その体験を通して感じたことを自分の言葉という形に変えて伝える。
これがあってこそ、読者さんは自分事としてイメージしやすいはず。
もちろん全員に伝わるとは1ミリも思ってませんが、イメージにかかる手間は省かせたいのです。
わたしの偏見ですが、既存の情報を大量に詰め込むことは、(ほぼ)相手不在の自分語りと認識しています。
例えば何かお勧めする際、せめてそれに取り掛かるハードルを下げるヒントを与えてくれれば、この人は読者さんに寄り添ってるなと思えるのですが、それがなければ自分語りの人と、わたしの中ではそう認識します。
人選びが⑥までいくと、わがまま過ぎると思わせるかも。
ただ自分の部屋は、管理人の自分にとってもそこに訪れる読者さんにとっても安心できる空間にしたい。
このこだわりが見る目を鋭くさせます。
大量の詰め込みは、忙しい人の時間をあまり考えられていないということ。
わたしは時間を軸に生きているので、その大切な時間を「情報の洪水」によって消費したくないのです。
noteは共有スペース。
表現の自由とはいえ、相手への配慮は欠かさない。こんな偉そうに言ってますが、わたしもまだまだ勉強を続ける身です。
他もそう、このように創作活動を毎日続けることで、インプットとアウトプットの精度を高めていく。
このおかげか、シリーズは次々増えて現在10作目まで完成させてます。
ここで完結か増えるかはわかりません。
ただ、そのときの自分に任せてどうするかを自由に決めようと思います。
とにかく詰め込みすぎはキャパオーバーを招きやすくする。
一度に全部出すより、ちょっと惜しいくらいが興味を引くのでは?
わたしはそんな気がします。
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