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「いま」存在しない正解は幻
と思うようにしています。
正解が存在するのは「いま(現在)」と「過去」
未来は来ていないので当然ですが、存在するわけがありません。
ですが、その存在しないものにわたしたちはすがり付いてしまいます。
なぜそうなるのか?…
主な原因のひとつが、過去に受けた学校教育。
先生が用意したテストの解答は決められた未来。
解答用紙には先生(その周辺にいる大人たち)が決めた未来の解答を、生徒である子供が文字で再現する。
決められた通りにやれば、評価されるというもの。
つまり、他人が用意した正解ありきの教育環境に長く住み続けたため、自動的にあらゆる正解を外に求めるように。
ですが、実際にそれを求めたところで納得のいく正解はどれだけ見つかったのかというと、すぐには浮かばないでしょう。
(浮かぶとしても片手で数える程度)
子供の頃は、自分よりすごい親や先生に頼らなければ生きていけなかった。
生きるにおいては、納得がいかなくても大人が納得すればそれで正解だった。
しかし、社会に出てから正解を保証するのは他人から自分へ。
この時点で正解探しの時期は終わり、正解創りの時期を死ぬまで過ごすということ…考えただけでも面倒です。
自分が納得する正解(最適解)を創るには、日頃からできる限りあらゆる情報を拾い集め、その情報を主観と客観を交互に観察すること。
見て・感じて・考えて・問いかけて・表現する
既に存在する正解はどこまで持続可能か?他の人には適しても、自分は別じゃないか?など、
なるべくすぐに限界を作らず、頭の中にあるモヤを鮮明化させることで、自ずと求めている正解と創る正解が一致するだろう。
わたしはそのように考えます。
すがり付く"未来の正解"はほとんど当てにならないでしょう。
「いま」価値があっても、未来にはその価値が下がるかもしれない。
その下がる価値にすがるなら、自分で正解を創る方が人生を充実させられるのではないか?
非効率のように思えるでしょうが、わたしはそちらに時間を投じたいです。
自分の意思で行動の量を増やして、行動の質を高めていく。
そうして創られるプロセスから、正解が創られる。
もちろん、これは存在しない未来への賭けですが、失敗しても誰かのせいにしなくて済むこと。
その誰かのせいにしない人生が、時間価値を最大限に増やすのではないか?
わたしはそう信じます。
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